原子メールの届いた夜に

空き瓶に石ころをためていくような日記です。

『劇場版SHIROBAKO』

 『SHIROBAKO』の劇場版を見てきました。劇場版を作る劇場版。事前情報はあまり入れずに観にいった方が楽しいかも(下の予告編も見ない方がいい)。以下、ネタバレしかないので閉じておきます。

劇場版「SHIROBAKO」本予告【2020年2月29日(土)公開】


 テレビシリーズの先にある正しい「お祭り」映画であると同時に、やっぱり冒頭30分(くらい?)のインパクトがすごかった。

 テレビシリーズを彷彿とさせる、車線に並ぶ二台の車。赤信号が青信号に変わると同時にスタート──するかと思いきや、一台はエンストを起こす。よく見るとその車、武蔵野アニメーションの営業車はボロボロで──

 事前に出てた情報のいくつかから、武蔵野アニメーションに何かが起こったらしいことはわかっていたけれど、冒頭の30分では落ちぶれ果てた武蔵野アニメーションのあれこれが描かれていきます。草が生い茂り、緑に埋没している社屋。すっかり減ってしまって数人しか残っていないスタッフ。元請けではなく、グロスで作成した話の上映会(そして、それは変わり果てた「三女」)。引退している「元」社長。次々と、かつての日々が失われたことが描かれていき、そして、それを引き起こした「タイマス事変」のことが語られる。

 「タイマス事変」で、元社長が作品の中止を告げたときの会社の様子は、テレビシリーズのときと同じ活気のあるもので、だからこそ、それがズダンと断ち切られたことが悲しい。それを最も引っ張ったのは遠藤さんで、その荒れっぷりもわかるな、という気もします(遠藤さんに対して、下柳さんの口調がぐっと親しいものになってたのよかったし、遠藤さんをボコって落ち込む瀬川さんもよかった)。

 劇場作品作りが始まってからの再集合は、もっと劇的でもよかったかな、と思いつつ見てたけど、一人、また一人と集まってくる様子に、やっぱり嬉しくなる(山田さんはかわいそう)。

 クライマックス付近、権利関係のごたごたが片付き、映画も完成して(作中作の)エンドロールが流れ、よかったなあと思いつつも、これで終わると物足りないな、というところで「映画のクライマックスがこれでは物足りない」問題が起こってくるメタ構造はとてもよかったし、最後に作り直されたクライマックスシーンが狂気だった。そのクライマックスシーンを作るあれこれも見たかったな、と思いつつ、でもそれはもう予想できるお祭りなので描かれなくても十分。

 映画ということもあり、ひとつひとつの問題の「解決」方法は、掘り下げがやや希薄で、そこがもっと見たいな、と思う気持ちはあります。舞茸さんがボロボロになってくとこ、よかったんだけど、どうしてもその脚本上の悩みはこの限られた尺の中ではその内容が十分にはわからない。それは絵麻についても同様で、作画監督としての悩みをどう乗り越えたのかはわからない。

 とても面白かったんだけど、やっぱりまだ満腹にはならなくて、だからこそ、5年に1回、10年に1回くらいの割合で、これからの武蔵野アニメーションを見てみたいと思える作品でした。エンディングの一枚絵たちとか、見れば見るほど面白いものもたくさんあって、もう一度観にいくつもりです。