原子メールの届いた夜に

空き瓶に石ころをためていくような日記です。

日記

 気がつけば、5月が目の前にあって驚く。感覚的には4月の半ばくらいだったのだけど。

 4月は、忙しくなかった。ただ、外の状況がめまぐるしく変わっていくので、それをぼーっと眺めたり、それに反応して準備をしたりしているうちに、うかうかと終わっていってしまう。

 焦りがないわけではなくて、この焦りの正体は何かというと、「さぼるのは好きなのに、さぼっていると焦りはじめる」ということで、明確にこの4月はさぼっていたのだが、さすがに焦りが生まれ始めた。何かを生産しなければ(あるいは学ばなければ)という焦燥感は、ずっとある。ただ、私はあまり遺志の強い方ではないので、「まあ、なんか外にも出られないし」という感じで、やはりぼーっとしている。

 4月の後半から、在宅勤務ということになった。仕事場に出なくても、できる仕事にそれほどの違いはない。なので、別に困ることはないのだが、心情的には仕事場にいけないことよりも、近所のカフェが使えないことが大変困る(休業中です。つぶれちゃったらどうしようと本当に心配してる)。このサボり癖のある自分が、一応仕事をしてこられたのは休日でもカフェにいけばまあ仕事しようかな、というつもりになるからで、また、そこで仕事をすることでストレスが解消されていたのだけど、それがなくなってしまった。

 仕事をしないとストレスになる、というのはワーカホリックっぽく見えるけど、裏を返せばその時間以外は大した仕事をしていないということだ。うーん。それが問題なのでは? というのは、それはそうなので、この機会に改めるしかないのだろう。

 対応策。家の中で、寝室にしている部屋があるのだけど、本当に寝ることにしか使ってないので、そこに机を置いてはどうか? 擬似的にカフェ的空間を作る作戦。しかし、人目があるからこそ仕事ができていたのではないのかなあ、とも思えて、あまり効果はなさそうだけど、やらないよりはマシじゃない? という気持ちに、今書きながらなったので、机を買ってこようかなあと思い始めています。

 それにしても。

 こういうことは、一生に一度しか起こらない、というわけでも多分ないんだろうけど、こういうことが起こるということは、やっぱり想像の外で、でも今回のことは「信じられない」という感じはしない。こういうことは、そういうものなのだろうか。