原子メールの届いた夜に

空き瓶に石ころをためていくような日記です。

『雨を告げる漂流団地』

 『雨を告げる漂流団地』をNetflixで見ました。今、タイトルを確認して「雨を告げる」だったか、と思っているところ。面白かったです。以下ネタバレあり。

 「団地が漂流する」というアイディアを、二人の主人公である航祐と夏芽の後悔と囚われのメタファーにする、というのはぶっ飛んでいるけど、わかりやすい話作りではあります。そこに「のっぽ」という団地の擬人化を重ねているところが、ひねりのあるところでしょうか。

 最初、「幽霊」とか不穏なワードがでてきたので、ひょっとして夏芽さん死んでませんかと思ったんですが、そんなことはなかった。わざと仕掛けられたミスリーディングかなとは思うんですが、若干ノイズになったかな……。2回目観ると序盤の印象は変わりそう。

 この作品、とにかく「簡単には解決させんぞ」という意志を強く感じて、通常のドラマ作りだったらこれで解決だね、となりそうな場面も、ことごとく失敗していくので、見る人によってはそれは若干ストレスかも。観覧車で団地を引っ張りあげる! みんなで力を合わせた! これで解決ですね! からの観覧車崩壊とかね。

 序盤から二人の主人公がケンカ状態で、それが終盤までほぼ解消されない(それがこの物語最大の山なので当たり前ですが)ので、平和なシーンがあまりないとこはちょっともったいなかったかもしれません。途中、漂流プールから戻ってきたところが若干の雪解けポイントなので、そこで少し平和なシーンが挟まりはしますが、もうちょい見ている方にも団地に「愛着」を持つ場面がほしかった(それがあることで最後の別れの感慨が強くなるので)

 せっかく団地が漂流しているんだから、(状況としてはもちろん厳しい状況なのでシリアスにならざるを得ないんだけど)団地が漂流しているという面白さをもっと見たかったかなあ。

 主要人物は漂流する6人の子ども+団地の擬人化であるのっぽの7人なんですが、それぞれの描写がしっかりしていてよかった。珠理さんと謙さんが若干聖人過ぎるような気もしますが、全員に勝手に動かれると見てる方もつらいしね……。

 見ながら思っていたのは、私にとって漂流している場所はどこだろうか、ということで、最近ときどき思うのは、もう存在しない母方の祖母の家。今もありありと脳裏に思い描けるけど、この世には存在しない場所、というのはなんだか不思議なところはあって、そのうち平面図でも書いとかないと忘れるのかなあ、でもここまで覚えてるからもう忘れないのだろうか。

 もちろん、場所の記憶というのは人の記憶と結び付いているものでもあって、ときどき夢の中で死んでしまった人と会うこともあるわけですが、ちゃんとお別れできなかったという人や場所に対する悔いのようなものを想う映画として、漂流団地はよくできた映画だったなと思いました。