原子メールの届いた夜に

空き瓶に石ころをためていくような日記です。

珈琲についてのあれこれ

 珈琲を飲んでいる。コーヒーでもこーひーでもCoffeeでもいいのだけど、珈琲店という名前のお店なので、気分としては珈琲だ。

 眠たいな、と思っていた。久しぶりの連休ということもあり──いや、生活リズムは常に崩れがちだ。休日だからというのは言い訳に過ぎない──朝まで起きていたので、そのあとの睡眠時間はわずか。といっても、昨日の21:00-24:00あたりに寝てたため、寝不足というわけでもない。

 珈琲を飲むと、目が覚めるという。だけど、ここ20年ばかり、あまりそういった実感はなくて、だから私はわりと寝る前にも珈琲を飲む。

 珈琲には、砂糖とミルクを入れる。私はあまり珈琲が美味しいかどうかがわからない。美味しくない、というのはある程度わかるとして、「ではこれとこれではどちらが美味しいか?」と聞かれると、それに答えられるような解像度で珈琲を捉えることはできていない。

 最初から砂糖とミルクを入れていた、ということでもなく、また、眠気に効くと最初から思っていなかったわけでもなく、珈琲を飲み始めたとき、私は、「ブラック」で「眠気に効く」と思って珈琲を飲んでいた。これがよくなかった。

 高校1年生のころだ。高校になって、学校には自動販売機が置かれるようになった。不思議なもので、中学校まではジュースを学校で飲むなんてとんでもない! という文化なのに、高校からはそれが許される。義務教育ではないから、とかそんなことも言えるのかもしれないし、お金を持ってくることになるのが云々とかかもしれないが、あまり意味のないことではあるなと思う(小学校でシャープペンシルが使えないことがあるように。筆圧がつかないから、とか言われるけど、そんなことがあるだろうか?)

 高校には、朝課外というものがあり、7:40くらいから始まる。私は電車通学だったのだけど、混雑を嫌うあまり、6:30のがらがらの電車に乗り、悠々と座って通学することを好んだ──はずだが、これは2年生あたりからだったかもしれない。記憶が歪んでるし、そのことを憶えているのはたぶんもう私だけで(それを憶えていたであろう母はもういないので)、確かめようもない。

 30分くらい早くつくと教室には誰もいない──のだが、いつのころからか、同じ時間に登校してくるクラスメートがいた。こちらが電車を一本早くするとなぜか追随され、思うに、妙な「1番乗り」争いみたいなことだったのかもしれない。彼女とは、ほとんど口を聞いたことがない(今考えると、同じ教室に二人しかいないのにしゃべらなかった、というのはかなり妙だが、高校生ってそんなものだよねと思う)。

 で。そのあたりは高校3年生あたりの話なのだが、高校1年生のころは、とにかく朝課外が終わると眠かった。もともと私は人の話を聞くのが苦手で(そのことを自覚したのは30歳くらいのころだったが)、とにかく授業中に寝る。大学でも寝てたし、今も、人の長い話を聞くのはかなりダメだ。で、その弱点にあまり気づいていなかった私は、珈琲を飲んでなんとかしようとしていた。

 これがよくなかった、というのは、私にとって、「ブラックで珈琲を飲む」というのが、わりかし辛い記憶になった、ということだ。美味しいと感じないものを、起きておくために無理矢理飲むというのがいい経験であるわけはなく、しばらく私は珈琲が嫌いになった。再び珈琲を飲み始めたのは、20代の後半になる。10年近く、珈琲を飲むことができなかったわけだ。

 今でも1日1杯飲まないと気が済まない──というほどの珈琲好きではないのは、あのころに原因があるのかもしれないし、今もブラックはほとんど飲めない。過去の些細な傷が、一生に影響を及ぼすということは、案外あるなと時々思う(もっとも、それは今から過去を振り返って「そういうこと」にしてるだけかもしれないけれど)