原子メールの届いた夜に

空き瓶に石ころをためていくような日記です。

山崎ナオコーラ『『ジューシー』ってなんですか』

 表題作を読みました。Kinoppyで購入してSONY Readerで。

 まことに山崎ナオコーラらしい、場面と場面とをがんばってつなごうとはせずに、ワンシーンワンシーンを写真のように(? というよりも時間の流れがあるので、短い動画のように、と言うべきか)描いていくタイプの小説です。

 登場人物が複数人いるのですが、誰が主人公というのでもない。しいていえば、広田・岸が視点人物になりやすいのだけど、次のようにふんわりと浮いた一段落があったりする。

 別所の電話は、最後の挨拶、言い切り型の「失礼します」が、面白い。ふわふわと喋り、最後の最後でトーンダウンするのだ。パシッと切れる、語義通りちっとも礼儀のなさそうな「失礼します」という科白なのである。

 ここは語り手が露出しているとも言えるのだけれど、前後の流れとしては岸の思考のようにも読める。「面白い」と感じているのは誰か? しかし、それが誰か、ということを問うこと自体が、山崎ナオコーラの小説においてはあまり意味がないのかもしれない。

 それに対して、次の場面は明確に岸の思考。

 たとえば、野球用語を日常でも通じると思っている人に、岸は反感を抱いている。「まさに逆転ホームランですね」などと言われるときも、逆転の意味はわかっても、ホームランは「遠くに飛ばす」ということをなんとなく思うだけだ。

 小説の舞台は、新聞の「テレビ欄」を作り、各新聞社に配信する会社のお話。そういう仕事があることを意識していなかったので、「そうだよなあ、各新聞社が全部作ってるわけじゃないよなあ」と思った。誤植の話とか、誤植を防ぐ読み合わせの仕方とか、そういうのもおもしろかったです。
[asin:4087467678:detail]