原子メールの届いた夜に

空き瓶に石ころをためていくような日記です。

石黒正数『外天楼』

[asin:4063761592:detail] 短編集と思い込んでいたのだけど、実際には連作短編集でした。でも、冒頭のあたりは短編間のつながりがそれほど明確ではなくて、次第におのおのがつながっていく構成になっていて、そのことに驚けたことを思うと、思い込んでいてよかったかもしれなかった。

 石黒正数のマンガはおもしろいんだけど、いつもどこかもやっとする(悪い意味ではなくて)。『それでも町は廻っている』に感じる、時間に対するドライな感覚。それをつきつめると、楽しい時間が続かない『ネムルバカ』になる。楽しいんだけど、その楽しさには全能感がないとでもいうのでしょうか。常に終わりの予感を孕んだ楽しさが描かれる。便利な言葉ですね、全能感。

 『外天楼』では、楽しさはあるのだけれど、前提としての「ロボット」や「フェアリー」という存在がその楽しさに後ろ暗さを足していて全能感がすでにして損なわれているわけですが、さらに話が進むに従って、楽しさがむしろ仇になっていく。登場人物のひとりである桜場刑事は『それ町』の歩鳥的キャラクターであり、クライマックスではその的外れな推理が的外れな方向から真相につながっていくけれども、それが決して良い方向には作用せず、あの結末を導いてしまう。

 石黒正数を読むときにはどうしても間物語的な読み方になってしまうのだけれど(普段はそのような読み方をするのは苦手なはずなのだけど、石黒正数のマンガはそのような読み方を励起させるような仕組みになっている)、この物語は歩鳥の可能性のひとつだろうし、『それ町』の持つドライな感触を想起させるものでした。

 最後のカーテンコールにほっとしつつ、居心地の悪さを感じさせてくれるマンガだったと思います。

[asin:478592604X:detail]