原子メールの届いた夜に

空き瓶に石ころをためていくような日記です。

節目

 節目、ということをそんなに意識しなくてもいいんじゃないか、と思いながら、私は窓を開けた。暑いのか涼しいのか。肌をさらすとひんやりもするし、けれど、服を重ねるとじとりと暑い。電気ストーブをつけながら汗をかいているような、そういう夜だ。

 平成最後の、と、テレビをほとんど見ない生活をしていても、そういった言葉が目に入る。スーパーにいっても、平成最後のセールで餃子が安かったので買ってきてしまった。平成が最後であることと、餃子が安いこととの間には何の関係もないけれど、そういう意味づけがされると、ただのセールも意味があるように見える。

 気にしないようにしよう、としてるわけでもなくて、本当に気にしてなかったのだけど、こうも色々と書かれているとそわそわとはしてくる。平成最後の朝食。平成最後の昼食。平成最後の昼寝。平成最後の夕食。延々と続きそうな連休に、始まる前はうんざりとしていたところもあったけど、今はもうしばらく続いていてもいいよ、という気分になっていて、そういうところが現金だ。

 ちゃんとしよう、と時々そう思うけど、ちゃんとできた試しはない。節目になれば。そう思いつつだらだらと時間は重なり、1年、1年、また1年。そうだなあ、これではまずいなあと思うので、とりあえず平成最後の掃除をしようかな、と私は立ち上がる。