原子メールの届いた夜に

空き瓶に石ころをためていくような日記です。

新年のこととか

 去年は全然日記を書かなかったので、今年は書きたい。そう、毎年思っている気がする。

 2018年はわりと停滞の年で、特に後半は始終ぼーっとしていた。これはいかん、と思いつつ、1月1日もぼーっとして過ごした。これはいけない。

 それなりにコンテンツに触れてはいるのだけれど、それらは記録を残さないと記憶からも消えてしまいやすく、また、後から振り返ったときにも「このとき何見てたんだっけ?」とか「何読んでたんだっけ?」ということが思い出せない。それで何の問題があるだろうか、と考えてみると、なんだろうな。特に問題はないのか?

 問題があるとすれば。こうして、去年を振り返ったときに、なんか時間を無駄にしたな、という感覚が残ることは避けたい、とか、そういうことだろうか。思い返してみるに、去年は『ゆるキャン△』と『宇宙よりも遠い場所』、『リズと青い鳥』『やがて君になる』に狂っていた1年だったのだが……あれ、書き出してみたら、これなんか傾向性あからさまではないか? と思ったが、それは気にしないことにして、特に去年の1月は「あー、なんか最近、何度も見直すようなコンテンツに出会ってない気がするけど、これが老化というものなのだろうか」と思ってた矢先に何回見直すの? というくらいの衝撃を受けたため、なんというか、「コンテンツが好きになれる」ということのよさを改めて再確認した感じがあったのだった。

 そういう衝動みたいなものがだんだんほっとくと枯れてしまうとすれば、今年はそういうのをもうちょいプラスに生かしたい、というか、それどうやってやるの、っていうのはもちろんわからないわけですが、そんなことを考えてみたいと思っている。