原子メールの届いた夜に

空き瓶に石ころをためていくような日記です。

テンプレート弾幕の効能

 今更めいた話なのだけど、『戦姫絶唱シンフォギア』(http://www.symphogear.com/)が最終回を迎えた。全然見るつもりはなかったのだけど、ワイルドアームズを作っていた金子さんが関わっていることと、なにやらへんてこでおもしろいらしいという話を聞いたのでなんとなくニコニコ動画で見始めて、ネタとしての性質の強いコメントも表示させていた。

 ストーリーはともかく(特有のノリがあるけれど)、絵の作り方やちょこまかとしたところで確かにへんてこなところが多いアニメだった。したがって、そういったところを楽しむコメントがほとんどになり、基本的にはベタなコメントはほとんど見られず、ネタ的なコメントを共同で楽しむ、というスタイルの動画になっていたように思う*1ミルキィホームズなどのコメントに近いと言えばそうだけど、あちらは作品自体がそのようなコメントを予期して作っているのに対し、シンフォギアは(おそらく)予期して作られたものではない(はず……そうでもないかもしれない)。

 そういうわけで、展開のヒロイックな面などは、コメントによってストレートには受け止められず、ネタ的に消費されていたのだけれど、最終話のひとつ前、そのコメントに起きた変化に動物的に感動してしまった(救急車を通す車の列に感動してしまう系の感動)。そこで起こったのはこういうことだ。

 まず、その最終前話までのオープニングの歌詞に関するコメントは次のようなものだった。「僕の声は聴こえていますか」という歌詞に対するリアクション。

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 ひどい話だ! このあたりの感じは、「http://www.nicovideo.jp/watch/sm17008745」を見るともっとよくわかります(コメントの時間を巻き戻せばなおのこと)
 ところが、このリアクションが、最終前話のエンディングで流れたとき、次のように反応が変わる。

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 ずるい。こういう変化は、なんか不意を打ちます。このような変化については、コメントでも次のようなリアクションが見られたのでした。

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 謎の感動。これまでの話で積み重ねられてきたネタ的な反応が裏返ることで、最終前話の盛り上がりがベタに転じているということなんだと思うのですけど、これも制作者の意図ではないはずで、コメントはこのときのために(では決してなかったはずなのに)伏線を作品自体とは関係なく、自分たちで作り続けていたということになる。これはおもしろいです。

 で、この反応はどうやって生まれたのかな、と思って、生放送時のコメントをみてみると、そこではまだ「聞こえた」コメントはない。生放送が終わって動画としてアップされて、その数時間後あたりから「聞こえた」コメントが現れ、それがだんだんと伝播した、というかたちになっている。コメントは時間を追うごとに変化していくので、上の画像の三枚目あたりは、もうかなり後半に出てきているコメントということになって、そこまでくると、感動への自己言及がはじまっている。

 最初に「聞こえました」と書かれた瞬間があって、それをみた人が「こっちのほうがおもしろい(熱い?)」と思ってそれに続き、そしてその次の人が──という流れがみえるようなおもしろさ。基本的におもしろさ駆動である以上、ベタに反転したといっても、それもネタ的なコメントではあるわけですが、テンプレートがひっくりかえることの楽しさみたいなものをすごく感じる話でした。

*1:それにしてもネタとベタの対比というのもいいかげん古い。