原子メールの届いた夜に

空き瓶に石ころをためていくような日記です。

平成のこと

 平成が発表されたときのことを思い出すと、一緒にスイミングスクールの記憶が蘇ってくる。捏造された記憶でなければ、だけど、たぶん、私はその日、スイミングスクールへ行ったのだろう。

 スイミングスクールへは、バスで通っていた。なかよし公園と呼ばれていた三角形の公園があり、その公園はあまり遊具もなく、人気のない公園ではあったが(「なかよし公園」という名前は、近くの商店の名前を使っているものであり、よく考えてみると、その名前がどの程度共有されていたのかはわからない。が、自分たちで名付けた、という記憶もないということは、ある程度受け継がれてきた名前だったのかもしれない。商店がなくなっている今となっては、おそらくその名前も失伝したのではないかと思うけれど)。

 とくに平成という元号について、思うことはそれほどないけれど(数年前からなんか「平成って古いな」という漠然とした感想があり、ときどきそれを書いたりしてたと思うけど)、スイミングスクールの、あのなんかちょっとじめっとした感じ(たぶん温水だったはずだが)、あまり楽しいものではなく、大変なものであった、という漠然とした感覚と、平成という元号は結びついている。

 私はもう20年くらい多分泳いでなくて、でも、おそらく今も泳げるんじゃないかな、という特に根拠のない感覚があるのだけれど、それは、あの小さかったころの私がスイミングスクールに通っていたことによるのだな、と思うとそれは不思議だ。

 次の元号が何の記憶と結びつき、のちの私に思い出されるのかはわからない。何の記憶と結びつかない、ということがないといいな、とは思う。あるいは、Twitterやブログといったものを懐かしく思いながら、思い出すのかもしれないけれど。