原子メールの届いた夜に

空き瓶に石ころをためていくような日記です。

『たまこまーけっと』(完)

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 完結。先日書きましたが、「踏み込まずにふわっと終わる」終わり方でした(『たまこまーけっと』 - 原子メールの届いた夜に)。最終回ともあって、これまでほとんど揺れを見せなかった主人公のたまこが前回に引き続き動揺していましたが、すべては「なかったこと」のように、おさまるところにおさまっていきました。

 途中、商店街に誰もいない、というシーンがあって、そこをたまこが突然走りだし、自分の家に戻ったところで、おじいちゃんやお父さんを見て安心する。そのシーンは、たまこが走っているそのときには何のことかわかりにくく作ってあるのですが、一息ついたところで、「たまこのお母さんが亡くなったとき」と同じ状況だった、ということが視聴者に「遅れて」わかるようになっています。ここの時間差はおもしろかった。視聴者がわかった直後あたりに、みどりが気づき、みんなが気づき、という風に展開していきます。

 『たまこまーけっと』は、変化を嫌うアニメーションなのだろうか? ということにはすぐに答えが出そうにないのですが、同じスタッフが作った『けいおん!』(特に二期)をおもしろいと感じていたのは、その「変化を嫌う」(=終わりたくない/変わりたくない)空気に、確実なタイムリミットが忍び寄っていたからだったように思います。それに対して、『たまこまーけっと』にはほぼ「タイムリミット」がなくて、最終回あたりの「お后騒動」はその役割を果たしていたかというとそうでもない(「確実」なタイムリミットではないし、視聴者はほぼ「ない」と思ってしまっているから)。個人的にはそのあたりがちょっと退屈だったのかなあ、という気もして、むしろ二期があるならば、主人公達の「卒業」が見えてくることでタイムリミットのある話になるのかなあ、とも思うのですが、それはただの『けいおん!』の焼き直しにしかならない、という可能性もあります。

 で、ここから『たまゆら』の話につなげようとしていたことは覚えているのですが、書きかけのまま放置した結果、もう何も思い出せない。下書き保存した記事の廃棄率は非常に高いので要注意だ。