原子メールの届いた夜に

空き瓶に石ころをためていくような日記です。

『たまこまーけっと』

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 ハードディスクレコーダーにだんだんと録画している映画とかアニメーションとかが貯まっていってしまうわけですが、その例に漏れず『たまこまーけっと』も貯まっておりました。最近、毎週録画したらすぐに見る! という作品がありません。うーん。

 で、貯めていたものを何話分か見ました。おもしろかったです。おもしろかったんだけど、それ以上ではない感じ。日常を描いている系統の作品は好きなはずなのだけど、なんだろうなあ。おもちを食べたくはなるのでそれはいいなあ、と思うのですけど、それ以上に「日常を変革する」ような身体的な感覚にはつながってないのかなあ……という感じです。

 もともと、京都アニメーションのキャラクター演技(特に女性キャラクターの)はあまり得意ではない、というか、あざといにしても、なんかこう、うーん、みたいな気持ちでいて(特に「手」の演技)、それがこの作品ではわりと顕著に感じられてけっこうきつい。でもかんなちゃんのキャラクターは好きです。メインの話が見たいけど、もう次が最終回なんですよね……。

 物語全体の構造としては、偽日記の方が書かれていたものが、そうだよねえ、と思いました。

 たまこの「天然」さとはつまり、自身のテリトリーとアイデンティティとを絶対的に防衛しようとする働きからきている。この、揺らぐことのない「たまこナショナリズム」は、例えばもち蔵やみどりのたまこへの感情を「なかったことにする(気づかないことにする)」ことによって成り立つ。あるいは、「たまこ、幸せになれよ」という父の言葉を、「たまご、にわとりになれよ」と強引に(半ば意識的に)聞き違えることで成り立つ。鉄壁のガード。たまこの、商店街ともち屋への執着は、自身の過去と記憶への忠誠と服従を表わしている(例えば母の鏡台への献花)。周囲の人物すべてを、自身の過去と記憶をもとに配置し、世界がその軌道から逸れようとすると、そのズレを「なかったこと」にする。たまこは、この世界から一歩も出ないと自らに誓い、その法によって周囲の世界の安定(絶対的たまこ王朝)を維持する。世界は、世界を自らの過去と記憶に従わせようとするたまこの高度なパフォーマンス能力(「たまこ」という天然キャラの成立)によって維持されている。

2013-03-21

 最後はどう着地するのかなあ。なんかそこまで踏み込まずにふわっと終わるんじゃないかなあ、という気もしています。あ、それと12回で1年が経過したので、その「間」をすっとばしていく感じはおもしろくもありました。ちゃんと話と話の間に部長が代替わりしたりとかいったできごとがあったことも書き込まれていて。