原子メールの届いた夜に

空き瓶に石ころをためていくような日記です。

ふすまは鍵がかからない

 ごはんを食べていると、あやちゃんが起きてきて、「雨が、」と言った。そう、雨。あやちゃんの寝ている部屋は和室だから、入り口はふすまで、閉めるときにたたんっと音がする。小気味の良いものだと思うけど、雨の日には頭に響いた。


 「もう梅雨?」と、こたつの上の、私のごはんに目を向けながらあやちゃんは言って、「そんなわけないじゃん」と私は言う。「ふーん」と言うあやちゃんは「おなかすいた」と言って、ふーんと鼻から息を吐いた。


 ふすまというのは、鍵がかからない。もともと、この国には、鍵というのがあったんだろうか、と私は疑問に思う。閂はあったのだろう、と思い直して、「閂」という漢字は見事だな、とそれを頭に思い浮かべながら、卵焼きを食べた。しかし、閂もふすまにはつけられないし、ふすまにつける鍵なんて思いつかない。あの、名前はよくわからないけど、紙じゃなくて木でできている部分(でも紙ももともと木だ)に、引き戸みたいな鍵をつけることはできるかもしれない。まあ、そこまでしても結局ふすまだし。ばりばりって破れるものに鍵をする意味ってなんだ、とあやちゃんに言ったら、「でも、ガラスもぱりんって割れるじゃん」と言われた。それはそうだ。でも、ガラスの方がうるさいよね。


 別に、私もあやちゃんもふすまに鍵をしようとは思わなくて、二人でおみそ汁を飲む。汁という字は辻に似ている。最近のパソコンは、「辻」って言う字のしんにょうが点二つなんだよ、ってあやちゃんが言って、なんだかだまされたみたいな気分になる。「点が二つになると、ますます汁に似てるね」とあやちゃんは言って、それはそうだと思った。