原子メールの届いた夜に

空き瓶に石ころをためていくような日記です。

一ヶ月前のこと

いま、なにかを書くことはとても難しい。けれど、なにか書いておかないと、忘れてしまうだろう。私は、自分の記憶持続力にまったく自信がない。


阪神大震災の記憶は遠い。中学生だったあのころ、大変なことが起こった、という記憶はあった。が、被災地から離れていたからか、それとも、何も考えていなかったのか(さほどテレビで被災地の映像をみた、という記憶もない……と書きかけて思うのは、今回の震災についても「地震そのもの」の映像は見ていないかもしれない。意識に焼き付いているのは津波の映像ばかりだ)、その災害が自身に大きな影響を与えるものとしては受け取っていなかった。


私は、冷たいのだろうけれど、あまり他の地域で何が起こった、ということに関心が持てない(あるいは自分の地域でも)。オウムや、9.11にしても、そうだ。しかし、それをふまえても、今回のことには驚くほど揺さぶられた、と感じる。それが、被災された方とはまったく別次元のことである、というのは当然すぎる前提であるにしても、だ。


知らない人のことを心配するのは、とても難しい。ということなのかもしれないとも思った。阪神大震災のころには、Twitterはなかった(それどころか、インターネットにさわったこともなかった)。被災地にいる誰か、のことを具体的に想像するのは難しかった。何を感じて生きている人たちが、どのように地震に出会ったのか。


けれど、今はそれを具体的に想像することができる。そこに浮かんでいるのは人の顔じゃなくて、Twitterのアイコンだったりするのだろうけれど、あの日、これまでにはみたこともないほど、「ひとつの話題」しか流れていないタイムラインを追いながら、いつものあの人たちは大丈夫だろうか、と不安になった。


流れてくる情報に巻き込まれて、気分に飲まれただけ、と言えばおそらくそれはそうなのだろう。だから、そういう気分になった、ということだけを書いておく。


ということを書きかけたままにしていたのが三週間前で、今日はあれから一ヶ月だ。一ヶ月。早い、と感じているのか、長い、と感じているのかもわからないけれど、昔だ、という感覚はある。


あの日は金曜日だった。1月から3月までの三ヶ月ほどの金曜日の朝というのは、Twitterを下手にみると「まどか☆マギカ」のネタバレをみてしまう可能性が飛躍的に高まる時間帯で、その一週間前にネタバレを回避しようとして回避できなかった経験から、その日の朝は関西圏のネタバレを意識的に踏んで、関東圏よりも先にネタを知っている万全の態勢だった(うちの地方ではテレビ放送はない)。その日の夜に、それが関東圏で放送されることは疑っていなかった。誰も、疑っていなかったと思う。


本当にどうでもいい話だけど、あの日のことを思い出すとそのことの印象が奇妙に濃くて、おかしいなあということばかり思っている。