原子メールの届いた夜に

空き瓶に石ころをためていくような日記です。

フリック入力と音韻意識

「『ざじずぜぞ』の『じ』っておかしくない?」
「なんで?」
「だって、普通に発音したら『ざずぃずぜぞ』ってなるじゃん」

 7月のはじまりに物欲の神様に耐えきれずにiPhoneを買いました。いいんだ。結局ezwebに4000円以上払ってたんだから、iPod買ったと思えばとんとんなんだ……。
 それで、しばらくは文字入力をローマ字入力でしていたんですが、片手では打てないしのろいしでついに耐えきれず、初日に挫折していたフリック入力に挑戦中です。
 フリック入力は、「あ」を左に弾いたら「い」、上に弾いたら「う」、右に弾いたら「え」、下に弾いたら「お」というふうに日本語の五十音に対応しているわけですが、これがなかなか直感的には覚えられない。「『の』……は、『お』の段だから下で……」とかもたもた考えている始末です。
 考えてみれば、PCでもローマ字のキーボードでほいほい打てているのも不思議なことで、このキーボードに慣れ親しんでしまった私は、意識しなくても日本語の音をローマ字で思考することができるようになっている。もちろんヘボン式のように「shi」とかは打ってないわけですが(打っている人いるんだろうか)、「ズィ*1」とか、そういったよほど変な音でもない限り、つっかかりなく入力することができます。
 これは実はすごいことで、キーボード入力を覚える以前とは、おそらく日本語の音に対する感じ方が異なっている。文字を入力するインターフェイスは、そういう風に、言語の使用者の音韻感覚を変化させる力があるのだろうと思います。
 そう考えてみると、フリック入力を覚えること、というのも面白いところがあって、「そうかー、意外と「段」の意識って弱いんだな」ってことをしみじみ感じました。「あかさたなはまやらわ」といった「行」は間違いようがないけれど(これは通常のケータイ入力でも鍛えられる部分)、「す」ってどこの段だ、ってことがすぐにはわからない。
 フリック入力を練習していくことで、そのうち、「なんでもたつくのかわからない」状態になるのかもしれませんが、そのときの私の音韻意識は、きっと今の音韻意識とは異なっているのだろうと思うのです。

*1:本来なら「zi」で入力できるはずだけど、デフォルトの設定では「zi」=「じ」になってる。