原子メールの届いた夜に

空き瓶に石ころをためていくような日記です。

雨があがり、夏の音がする

「雨」
          「また雨」
   「でも、夏」

 毎日のように、どしゃぶりの雨が降っていたようで、私の住む地域にも、それはたいそう雨が降った。ここ数日はほとんどテレビをつけなかったので、他の地域の情報は、メールとか、twitterとかで漏れ聞いた程度しか知らないのだけれど、どうも尋常な雨ではなかった。
 今日も、朝からしとしととした雨は降っていて、けれど、蝉の鳴き声は大きい。梅雨ではない、夏なのだ。だけど、雨はひたすらに降る。それは夕立というわけでもない。
 部屋の窓を開けると、蝉の声がより一層大きくなって、涼しい風が入ってくる。じめじめしているというのでもない、やはり梅雨ではない。けれど、まだ夏の暑さにもなっていない。蝉は鳴いている。
 「冷夏」という言葉の響きは、切れるように涼しい。「暖冬」という言葉の響きが、包み込むように温かいのと同じことだ。それらは決して良いものではないだろう。けれど、本来相反するような二文字がくっつくことによって、言葉のイメージというのはぐんと変わる。