原子メールの届いた夜に

空き瓶に石ころをためていくような日記です。

『心が叫びたがってるんだ。』

 11月に『空の青さを知る人よ』を見てから火がついてしまい、11月の半ばは繰り返し繰り返し『心が叫びたがってるんだ。』のミュージカルシーンを見ていた。特に、終盤、成瀬順が母親の隣を「わたしの声 さようなら」と歌いながら抜けていくところ。

f:id:Rouble:20191223222909p:plain
f:id:Rouble:20191223222825p:plain

 この成瀬到着あたりは、時間の流れの演出とか、カメラワークとか、練りに練られていて、何度見ても本当にいい。

 関連するインタビューとかも色々読み返してたんだけど、語られるのは、制作がかなり難航したということで、長井監督と岡田さんとの間がかなり険悪になったようだということ。間に立たされてたとおぼしき田中さんは相当に堪えたようで、いろんなインタビューで、『空の青さを知る人よ』では、作画監督に加えて場を成立させる役割をしようとした、ということが語られている。

 岡田さんにしても、改めて自伝*1を読み直してみると、当該箇所の作中の歌詞について次のように書いている。

 順と私の状況は違う。けれど、歌詞の内容が今の自分の気持ちに符合しすぎている。
 長井君との言い争いで気持ちをすり減らし、そのせいで周囲にも迷惑をかけ、このままじゃ作品が座礁すると思い自分の意見を口にするのをやめた。なんとか作品は決定稿になった──。

 けれど、そのあと、岡田さんは作品に「救われた」と書いている。

 それを聴いた順の母親が、涙で瞳を潤ませる。
「ちがう。わたし、そんなこと望んでなんか……」
 その演技が、表情が、空間が。まるで、自分にそう声をかけてもらえたように飛び込んできて、呆然となった。そして、気づけば泣いていた。

 このミュージカルシーンで、成瀬順と母親は直接声を交わすわけではなく、歌とそして一瞬の視線とで通じ合う。この映画、そういう細やかな演技が多くて、二度目三度目で気づくところがすごく多かった。

 で、昨日はコミカライズ版を読んだのですが、冒頭部の成瀬以外の過去エピソードが追加されているところもいいし(特に坂上・仁藤の話は本編の見方に影響する)、ちょこちょこと挟まれている描写がいい。

f:id:Rouble:20191223230429p:plain
3巻より

 そりゃ最後ああいうことになりますよ。

 この作品、埋もれてる、というわけではないけど、話題にされる機会が少ないかな、とも思うので、見てない人がいたら、配信もされてるのでぜひ見てほしいです。

学校へ行けなかった私が「あの花」「ここさけ」を書くまで

学校へ行けなかった私が「あの花」「ここさけ」を書くまで

*1:『学校へ行けなかった私が「あの花」「ここさけ」を書くまで』