原子メールの届いた夜に

空き瓶に石ころをためていくような日記です。

『リズと青い鳥』

 『リズと青い鳥』、観てきました。事前情報はほとんど入れず、希美とみぞれの話らしい、ということくらい。ロングPVが公開されており、映画全体を振り返るのに大変よいのですが、振り返りすぎていて、事前に見ない方がいいPVになっています。注意。


『リズと青い鳥』ロングPV

以下、ネタバレなので畳みます。


 見終わったあと、しばらく反芻して、なんだこれなんだこれって思ってました。おそらく類似作はあるのだろうけれど、この映画では内心のモノローグが排除されており、独り言で内心を吐露する、というシーンも(ほぼ? 全く?)ありません。かといって饒舌な映画でもないため、その心情は、表情や手の動き、身体全体のこわばりや逃げ、目の震えなどで表現されます。どんだけ細かいの、という身体の描写。ピアノのシーンの、部長と副部長の表情とか、話題の変え方とか、それだけで「ああ、この2人はみぞれと希美のことを心配しているし、多分そのことについて何度も話しているんだろう」と思わせる。希美の触ったものを、みぞれも触りながら歩く。

 本編のシリーズとはキャラクターデザインの担当者が変わり、そのデザインも大きく異なっています。本編も細やかな描写をしていたので、なぜ変えたのだろうとちょっと思ってましたが、映画を観て「そりゃこの映画にはこっちのほうがいいよね」と思いました。おそらく本編のキャラクターデザインではこの精度の芝居はつけられないし、つけられたとしても、おそらくこの空気感は出せない(無駄に重たくなると思う)。タイトルも、『響け! ユーフォニアム』では、「!」がうるさすぎる。

 希美とみぞれは、本編(二期)から噛み合ってたとは言えないけれど、それがこの映画ではさらにあらわになる。最初は、カメラの中心がみぞれにあるので、希美は客体になっており、「あっけらかんとした」「しかしみぞれの気持ちをくみ取ることはできない」鈍感な人物として、視聴者(というか私)には見えています。その表情の奥に何を思っているかは読み取れない、ある意味では不気味な人。

 「そうだった、こういう人だった……」と思っていたところで、中盤の転調。希美へのカメラの向かい方が変わり、時としてその表情がまっすぐに捉えられなくなると、逆説的に、今度は希美の心の中が見えてくるようになる。

 あのクライマックスの演奏の、滝先生の表情。たぶんぜんぶわかっていて、あの瞬間希美が殴られていることに先生は気づいていた(みぞれのことに気づいていなかったっぽい橋本先生とそれは対比になっている)。すべてに気づいていく希美。それをわかって踏み出したみぞれ。

 水槽の前でのやりとり。拒絶する希美の身体とシャットアウト。

 麗奈さんはあいかわらず麗奈さんだったし、久美子はほとんどしゃべってませんが、麗奈さんと仲がよさそうで安心しました。が、希美とみぞれの音楽の実力における関係は、久美子と麗奈も同じなんですよね。2人が演奏してたとき、麗奈がちょっと顔をしかめたような気がしたのだけど、あれはなんだったのかなあ。あと、剣崎さんすごくよかった。

 今年の後半には、久美子たちサイドの物語が映画化されますが、たぶんキャラクターデザインはテレビ版。その世界のどこを、どういう風に切り取るかによって、描写が全然違ってくる、というのはとても面白いので、スピンオフがもっとあっても楽しいかもしれない、と思います。2年生の全国大会とかも描くとしたら、自由曲は『リズと青い鳥』なんだろうか。しかし、この曲のこの雰囲気は、この映画だからこそマッチしてたようにも思うので、テレビ版のキャラクターデザインにこの曲が乗るとしたら、どんな風に乗るのかも気になる(別の曲でもいいと思うけど)。というか、合奏練習に葉月さんいませんでしたよね。それはそういうことなんですか。

インタビューとか(感想書いたあとに読んだものを自分用に追記)

www.huffingtonpost.jp

ただ今回は「今楽しいよと言っていても本当に心から楽しいって言ってるのかどうか?」、という作品なので、作品世界の純度を上げるために「微笑みのような何か」を定着できるような手法を探りました。京都アニメーションのスタッフはそういう機微に関してとても理解がありますし、ずっとそういうのを積み上げてきたスタッフですから。


www.nishinippon.co.jp
cho-animedia.jp

私は、みぞれの感情はわかるけど、希美の考えていることが最初わからなかったんですよ。TVシリーズでは天真爛漫でまっすぐで、(中川)夏紀の憧れになるくらいの、まぶしくてキラキラしている女の子だと感じていて、すごく尊敬できたんです。でも、劇場版の希美は、人が大事な話をしているときに目がうつろだったり、足元を遊ばせていたり、はぐらかして逃げようとしたり……。人間の持つずるい感情が見え隠れし始めて、TVシリーズとのギャップに、理解が追いつかなかったんです。

cho-animedia.jp

大好きなみぞれが、無口なみぞれが、言葉を尽くして希美のいいところをあげてくれても、そこに自分が大切にしていたフルートのことは入っていないんですよ。だから笑うしかない。「ありがとう」と告げるシーンも心からの感謝ではなくて、「もう結構です」という意味も込められているんです。

shirooo305.hatenablog.com
mantan-web.jp

山田監督は「この線引きを大事にしたかった。学校パートは、学校を容器に見立てて、壁や椅子、廊下がみぞれと希美の行方を固唾(かたず)をのんで見守っているような音楽世界」とイメージを語る。そうした音楽世界を表現するために、牛尾さんは実際に舞台となっている学校でビーカーをたたく音や廊下の反響、足音などを録音し、音楽の素材として使用したという。

学校を容器に見立てるアイデアは、山田監督の「彼女たちが音楽を巻き起こしていくような印象の映画にしたかった。揺れる髪であったり、足音だったり、それが音楽になっていくような作品にしたい」という思いを聞き、牛尾さんが提案したものだった。

山田監督は「みぞれと希美が楽しそうにしていたら、周りの音も楽しそうな雰囲気で、雲行きが怪しくなったら、周囲の廊下や壁が『どうしたの?』とハラハラしているようなイメージなんです。ちょっと可愛いですよね」と笑顔で語る。「物音が生々しく聞こえてくる」ような音の表現が随所に見られる作品となっている。

cydonianbanana.hateblo.jp
mioririko.hatenadiary.jp
www.imgd.net
habanero02.hatenablog.com
https://eonet.jp/zing/articles/_4101959.html
mantan-web.jp

山田さんが希美とみぞれの足音について「最初は、みぞれがBPM60で、のぞみが110でしたね」と話すと、牛尾さんは「最初のコンセプトとして『互いに素』『disjoint』というキーワードがあった。ただ、エンディングの2人が下校するシーンで足音が4歩ぐらい合うんです」とコメント。さらに「そこはみぞれがテンポ100で、のぞみが99と101という『互いに素』のテンポでずっと変異していく。その変異の中で4歩だけ合ったんですよね。狙ったわけではなく奇跡的に合った。すごく感動的なところでしたね」と振り返った。