原子メールの届いた夜に

空き瓶に石ころをためていくような日記です。

どんどん忘れてしまう

 Twitterでは何度か書いているのだけど、記憶はこぼれ落ちる。本やマンガを読んで何を思ったか。日々の生活で何を感じていたか。

 仕事上のことについては、それでもアウトプットする機会があるから、それなりに記録には残っていくことになるのだけれど(そもそも形に残るし)、特に記録に残す必然性のないことがらについて、私はどんどん忘れてしまう。だから、日記をつけているのだ、とふりかえるには、この10年は長い。10年? ブログをはじめたのは、いつだったのだろう。

 それは調べればわかることだった。2003年だ。13年前じゃないか。

 Twitterとか、今は亡きWassrTwitterみたいなつぶやき系サービス)とか、そのあたりに思ったことの断片は落ちているのだけど、なかなか読み返せない(Wassrに至っては電子の海に還ってしまった)。そうすると、やっぱり結局はブログなのだなあ。

 ところで、過去のブログを検索すると、Wassrについて2008年に書いてたんですが、「イイネ」があることを評価していたようだ、私は。Twitterのfavoriteっていつからあったんですっけ? 変化の年表がほしいところ。

 こういうことも何度も書いてるんだろうなあ、と思う。これからも書くだろう。ここまで13年だから、やがて「ブログを書いている期間が人生の半分より長く」なる。50歳とかになって、自分の日記を読み返すのは楽しいかもしれない。