原子メールの届いた夜に

空き瓶に石ころをためていくような日記です。

「個人的に少し怖かったのが、登場人物がずっと同じに観えてしまうことだったんです」

 『アニメスタイル』の6号が出ました。5号以来1年数ヶ月ぶり。すべてを集めているわけではありませんが、本棚を眺めたところ、とりあえず1・3・4は持ってるみたい。現在、クラウドファンディングで季刊化をねらっているようです。

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 この雑誌の特徴は、記事の数が少ないかわりに、1つ1つに割いているページ数が多いところ。6号の場合、メインの『SHIROBAKO』『四月は君の嘘』『花とアリス殺人事件』だけで7割以上が埋まっています。『SHIROBAKO』と『花とアリス殺人事件』の2つを同時に取り扱ってくれるのうれしい。まったく対照的な「アニメーションの作り方」に光が当たってます。次号はユーフォニアム来るかなあ。

 表題は、『花とアリス殺人事件』における岩井俊二監督のインタビューから。引用してみます。

 3Dやってた時に、個人的に少し怖かったのが、登場人物がずっと同じに観えてしまうことだったんです。そうするとだんだんキャラクターが人形のように観えてくる。3Dアニメーションって、そういうものだし、3Dアニメーションとして完成するものならそれでもいいかもしれないけれど、2Dアニメに加工されてるという事はそうじゃないわけですよ。画になるわけじゃないですか。
 観客は画として観ているのに、それが人形のように思えてしまうと、どれだけ動いていても、登場人物に関心を示さなくなるだろう。動いてて当たり前というか、ゲームの中でマリオが動いてるのと変わらなくなっていく。そのモードに入ってしまうと、せっかく作ってる作品が、残念な結果になってしまう気がしたんです。(p.106)

 最初に冒頭を読んだときには、「ずっと同じ」に見えるなら、そっちの方がいいんじゃないかなあと思ったのですが、そこに人間をみる、というのは、そういうことでもないみたい。確かに、ゲームの(3D)キャラクターをみる視点と、アニメーションの中のキャラクターをみる視点とは、そのキャラクターの内面への意識の向け方が違うようにも思います(自分で操作してる/していない、の違いがあるにしても。

 これは、コミPo!で描かれたマンガに感じる違和感と同じものなのだろうとも思います。よくできていても、やっぱり、どこか「お人形」に見えてしまうわけで、没入観が疎外されてしまうというか。

 『シドニアの騎士』も全編3Dで作られてますが、しかしそれほど人形には見えなかった(慣れたからかもしれないけど)わけで、そのへんどうやってたのかなあ、というのが気になります。

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