原子メールの届いた夜に

空き瓶に石ころをためていくような日記です。

『響け! ユーフォニアム』

 このシーズンはあまりアニメーションを見ておらず、全部だらだら見てる感じだったのですが、最近、ようやく『響け! ユーフォニアム』を楽しみにするようになりました。

 といっても、気になっていなかったわけではなく、むしろ、なんか見てると辛くなるのでもやもやしていた、という感じ(別に吹奏楽やってたとかではありません)。以下、いくつかの観点で感想を。

音の演出

 第1話をみたときに、ツイートしていたのが以下の感想。

 この感じは、次話以降でも同じ印象で、特に視点人物になっている久美子の声の演出は、他の登場人物に比べても、ぐっと生の人間っぽい感じに寄せているように思います。学校での久美子はそれなりに高いトーンで話しますが、幼なじみの秀一や姉の麻美子と話すときにはかなり低くなり、抑揚がなくなります。

 これは、もちろん近しい間柄であり、特に遠慮しなくていい相手だから、ということでもあるのでしょう。一方で、この2人はおそらく現在の久美子が「うまく話せなくなっている」相手もであり、また、その一方で「本当はちゃんと話したい」相手でもある、ということだろうと思います。8話以降は麗奈とも低いトーンで話す場面があり、2人の距離が接近していることが声だけでわかる。

 他の登場人物は、そこまで相手に合わせて声のトーンを変える、というほどの演出はなされておらず(副部長のあれは別で)、その点でも、この物語の中での久美子の特異性を感じます。

滝先生のこと

 吹奏楽部の顧問である滝先生は、当初苦手な感じでした。

 2話から本格的に物語の中で動きはじめますが、いきなり「生徒の自主性を尊重している」から、その場で「今年の目標を決めろ」という指示をするんですよね。結果、これをおそらく利用した副部長が多数決を提案し*1、考える時間はほとんどなく、なし崩しのうちに「全国を目指す」という目標が設定されてしまいます。

 まず「自主性を尊重する」ならば、その場で決める流れをお膳立てしてしまうのはどうかなあ、と思ったのが、「きつい」と思った理由。結局、このとき異なる目標に手をあげていた生徒は退部してしまいました。

 そういった部としての「失敗」を、起こるべき失敗として計画していた、というのならわかるのですが、どうも描き方としてはそうではなく*2、劇中での描き方が「特に瑕瑾のない先生」としてのそれだったのでしばらくもやもや(ただし、随所で「のせるのが上手い」「のせられた」などの言葉が見られ、結局滝先生にコントロールされている感覚があること自体は言及があります)。

 このまま最後までいくのかな、と思ってたところ、第10話でようやく滝先生の「未熟」が描かれました。これまで超然と指揮をしていたようにみえる先生の顔に汗が浮かぶ描写。前半の楽しそうな交流のあとの、後半の不信感。そして、つい声を荒げてしまうシーン。

 瑕瑾のない先生として描かれるわけではなかった、とちょっと安心し、同時に、「これからどうするのかなあ」ということを気にしています。やっと人間になったなあ、という感じかなあ。

副部長のこと

 副部長の描写はいまひとつわからない。「使えないやつはいらないやつ」みたいな価値観を持っているのはわかるのですが、普段のあのふるまいはなんなのか。そういう価値観を隠すための仮面なのかなあ、とも思うのですが、その場合、隠す理由は何かなあ。隠した方がうまくいくからなのかなあ。

 第1話の手品とか、第6話のあれこれとか、「しなくてもいいはずのこと」も副部長はしていて、それをするのには一定の努力が必要なはずなのだけど、しかし彼女はそれをする。

 彼女が「友達」をどう考えているのか、なども合わせて、「嫌な人だなあ」とは思いますが、気になります。

原作読みたい

 今のところはこんな感じ。13話構成っぽいので、残り3話ですね。最近の京都アニメーションの傾向をみると、2期も来るのかな。

 原作読みたいのですが、電子書籍になってないんですよねー。ならないかなー。

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*1:見てたときは「いきなり多数決って高校生っぽいなあ」と思ってたけど、後の展開を考えると計算ずくで「こうなる」ことを副部長は予見してたのかなあと思う。ただ、そもそも副部長は「全国」という目標をどう考えてるかもよくわかりません。

*2:もし計画していたならば、その回収がなされなければならないけれど、結局それはなされていません。