原子メールの届いた夜に

空き瓶に石ころをためていくような日記です。

柴崎友香「レッド、イエロー、オレンジ、オレンジ、ブルー」(再録)

 同人誌『Melbourne1』で発表された短編についての感想。2007年5月。その後、『主題歌』に再録されています。『春の庭』にもつながっていく、視点の描き方の模索がはじまっている小説。

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 この同人誌におさめられている柴崎友香の「レッド、イエロー、オレンジ、オレンジ、ブルー」と長嶋有の「オールマイティのよろめき(2nd flight)」は裏と表になっている小説にみえる。

 柴崎友香の小説は『きょうのできごと』の一節と同じタイトルだけどまったく別の小説で、けれど、空気感は『きょうのできごと』のそれに近い。はっきりとは記憶していないのだけれど、私の記憶では、柴崎友香の小説はずっと一人称小説だったことになっていて、この小説は三人称小説だから、しばらくは気づかずに読んでいて「あれっ?」となった。

 この小説の面白さは三人称のカメラの位置のようなものがぽんぽん飛ぶところで、たとえば次のような感じだ。

 絵莉はまむしを見たことがなく、思い浮かべたのは縞々の蛇だった。男は、黒よりも青に近い色まで髪を剃った頭に汗をにじませていた。
「おるよ、まむしぐらい。そこらに。ほんま、一時は死ぬかと思ったんやけどな、動物病院に入院して。でも、まあ、なんとか元気になった。毛は全部抜けたけど」
「えー、かわいそう」
 周子は眉間に皺を寄せ、男の大きい目をじっと見ていた。台所で鍋を洗っている範子はその話を十回は聞いていたので、にやっと笑って、わたしもほんとは犬を飼いたかったんやけどな、と思った。

 この短い間にカメラは絵莉、周子、範子の間を飛んでいて、絵莉と範子については内面まで描写されている。絶えず一人称が切り替わっていく小説と考えていいだろう。一章一章ごとに語り手を変えるのではなく、一文一文ごとに語り手が変わるようなイメージ。

 長嶋有の「オールマイティのよろめき」も構図は同じで、ある飛行機に乗り合わせた「窓際の男」「真ん中の男」「通路側の男」の間を、三人称カメラがぽんぽん飛んでいく。この書き方はなかなか楽しい。世界を丸のまんま書こうとするとこういう書き方に辿りつくのかもしれない。