視点が現代と戦前との間を行き来しますが、物語の大部分は女中である「タキ」の視点で進んでいきます。戦前パートは「タキ」の覚え書き、というかたち。そのこともあって、序盤から「この語り手=タキはすべてをそのまま語っているのだろうか?」と疑問を覚えるかたちになっています。読む前は想像していなかったのですが、「信用できない語り手」による物語なんですね。
おばあちゃんは間違っている、昭和十年がそんなにウキウキしているわけがない、……
という言葉が現れるのは、タキの甥の健史が覚え書きを盗み読んでいるからで、この健史のつっこみは、いかにも「現代」という視点から戦前を「暗黒の時代」のように眺めたときに出てくるようなつっこみなのだけど、一方で、「確かにタキさんも美化しているかもしれないな」と読者に思わせるようになっている。
そのようにして読んでいくと、随所に「どうもこの語り手は何かを回避して語っているぞ」という気配が出てきます。「女中」という立場であることもあってか、「奥様」や「旦那様」に対する価値判断は控えめで、ときおりみえる「奥様」の不審な行動についても、それをはっきりと描写するまでにかなりの時間がかかります。
その奇妙さがもっとも強く表れるのがこのあたり。
「要するに、こういうことだわ」
陸子さんは、おっしゃった。
「好きになっちゃ、いけない人を好きになっているのよ」
「ええ。そうなんですわ」
と、わたしは答えた。
もちろん、奥様と板倉さんのことを考えていたのだ。
ところが陸子さんは、とても奇妙な話をした。何かひどく、ずれているようなずれていないような、変な感覚がいまでも残って忘れられない。
この部分、大きく2通りの解釈ができる可能性があって、おそらく決定打はないように思います。ラスト、タキの死語の健史の視点から、さらに謎が出てきますが、明確な答えは生まれません。
他の人の解釈を見て回るのがおもしろい小説だと思いました。生活のディテールもいいです。映画版もみようかなあと思ってましたが、予告編みると、ちょっと間を置いた方がいいかな、という感じ。解釈が結構異なりそうです。