原子メールの届いた夜に

空き瓶に石ころをためていくような日記です。

ノスタルジーの季節

組曲『ニコニコ動画』改」が公開されている。



もともとのバージョンは2007年6月23日に投稿されたもののようで、すでに4年が経過していることになる。もう4年、という風にも感じるけれど、一方ではまだ4年か、とも思えて、最近は消費のスピードがあがっている、ということもあるのだろうけれど、時間の密度が濃い。


動画のコメントも、どちらかといえば「懐かしい」ベースのものが多く、「かつてのニコニコ動画」に思いをはせるものも少なくない。「かつてのニコニコ動画」というものが、全員にとっての共通の記憶であることはありえないが、当時には当時の雰囲気があった(とそれぞれが感じてる)のだろうし、特にニコニコ動画の空気を継続して感じてきたわけでもない私も、(おそらくは当時の自分の周りの環境と、今の環境との違いに思いを馳せつつ)懐かしく聞いた。


懐かしいといえば、一方で、春からはじまった『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』のエンディングも(あるいはその物語も)懐かしい。



目の演技がすごく好きなんだけど、まあともかく、この歌も最初のリリースから10年だ。2001年、という響きはずいぶん遠いけれど、あのころの10年後が今。実感の沸かない事実だ。


歳を取るにつれ、次第にわかってきたことは、10年というのはそれはそれは長大な時間なのだけど、しかし、記憶が古びるほどに遠くはない、ということだ。自我が確立してからの10年を振り返ることができる歳になった、ということなのだろうけれど、この10年が7つも積み重なればそこに戦前がある。すごく遠くて、でも、地続きの時間だ。


これから数ヶ月、あるいは、数年の間は、ノスタルジーの季節が来るのかもしれない。それは、以前にあった昭和ノスタルジーのような、「手の届かない虚構の歴史」に対するノスタルジーではなくて、10年前や数年前を振り返るような、そういう種類のノスタルジーが。私は、ノスタルジーというものに対して、一方で、ある種の気持ち悪さが張り付くことを懸念するけれども(あの良き時代!)、しかし、今、数年前を想う、というのは、自分自身が生きてきた年月の記憶に対するメンテナンスとして、ひょっとしたら必要なことなんじゃないだろうか、とも思っている。