原子メールの届いた夜に

空き瓶に石ころをためていくような日記です。

『トイ・ストーリー3』

「大人になったアンディ」とか、そのあたりのエピソードに注目してみるというよりは、「どうやってここを抜け出すんだろう!」というアクション面に気を引かれました。いろんなおもちゃがたくさん出てきておもしろかった。あれ、あんまり言うことないな。


トトロがしゃべるのかなーってじっと見てたんですが、どうもしゃべらなかったような気がします。あの家のおもちゃたちは可愛かった。私はかなり素朴な視聴者だったので、サニーサイドもいいところじゃないか、とか、そういう迂闊な見方をしていて(トイレを通って、あの部屋に入ったときにドアががちゃんと閉まった感じは気になっていたけれど)、いもむし組の子どもたちが帰ってきたときにはうわあと思いました。リアルタイムの子どもがみたら、あの風景はどんな風に映るのだろう。思えば、あの暴虐の限り、という姿は、たしか1のときに隣に住んでいた彼にも近いのかもしれません。


トイ・ストーリーをみてるといつも思うのは、「パーツがなくなったらどうしよう」という不安で、今回もウッディの帽子が一度なくなってしまうし、ミセス・ポテトヘッドの目は劇中ほとんど欠落している。そのパーツのなさの満たされなさ、みたいなのをずっと感じることと、それが解消されることによるカタルシスというのはあるなあ、ということと、その反面において、よくパーツをなくしてしまったなあ、というような、子どものころの悲しさと不安のような感覚も思い出しました。


で、ポテトヘッドで名前あってたかしらと調べてみたら、ポテトヘッドって実在のおもちゃだったんですね。他にも実在のおもちゃがあったのでしょうか。


あ、あと保育園こどもがけんけんぱみたいな(地面に○とか□とかをかくやつ)のをしてて、あれって他の国にもあるんだなーってことを思いました。どこ発祥なんだろうか。