原子メールの届いた夜に

空き瓶に石ころをためていくような日記です。

はてなダイアリーブック

忘れられがちだし、実際、私も忘れていたが(作ったのに)、はてなダイアリーは本にできるのだった。しかも、PDFだけにもできる(モノクロ100円、カラー300円)。リリースされたころ、PDFの価値は今ほどにはなかったが、タブレットがそれなりに気軽に手に入る今、PDFの価値はだだあがりである(主に私の中で)

はてな

他のブログサービスに、どれくらい類似のものがあるかはよく知らないのだけど、こないだから考えているブログのストック性のことを思うと、「本にする」というのはその最たるものだなあと思う。読み返そうと思えば、もちろんブログを読み返せばいいのだけれど、それが「本」という形式を持つことは、やはりただブログを読み返すのとは何かが違うのだ。あるいは、それは旧世代的な郷愁なのかもしれないけれど。

「本にする」ことができるよ、というのは、今の流れの中では、当時とはまた違った響きを持っている。それは、これだけ情報の流れが速くなったことによるもので、TwitterFacebookは本にはしたいと思わないけど、ブログは思うというところにはわりと面白い機能が眠っているように思う。

ソーシャルメディアの中にみえてくる「過去」は、どこまでも「自分」でしかないように感じるけれど(だから読み返したくはない)、ブログの中にみえてくる「過去」は、今の「自分」とはまったく異なる、そのときそのときになんか変なことを書いたりしている「誰かの足跡」だ。だから、読み返していておもしろいし、うかつにも「へー、こういう考え方があったのか」などとも思ってしまう。けど、そういうのはとても楽しい。