原子メールの届いた夜に

空き瓶に石ころをためていくような日記です。

なんだかなにも考えていないような連休のこと

 今年の連休は珍しく晴れしかなかった──というには、あと一日残っているけれど、ともかくこれだけ晴れが続くのは珍しい。ということをなっちんに言うと、「毎年こんなもんじゃないっけ?」と言われた。そうだったかもしれないと思いつつ、どこかで雨が降るのが連休だったようにも思う。
 夜になると、外からはもう虫の鳴き声のようなものが聞こえてきていて、こないだまで寒かったのにもう夏になるような顔をしていて信じられない。夏には夏の気配がある、ということを、去年の秋くらいにやよいちゃんと話したことを思いだして、もうあれからずいぶん立ったものだな、と思った。秋のころには思いだせなかった夏の気配がずいぶん近くなってきているし、逆に秋の気配は遠くにいっている。こないだまでそこにあった、冬の気配も。
 連休が終わることは残念なようでもあり、けれど、どこかほっとするようなところもある。夏休みほど長くはなく、けれど、普段の週末とは全然ちがう。休んでいいはずの五日間なのに、どこかに、本当は休みではない、という、鎖のようなものがくっついているような気がして、私は昔からそれほど連休が好きではなかった。
 どこかに出かける、というのは、鎖をときほぐす作業として優れているのかもしれない、ということを漠然と思い、けれど、それがどうしてなのかはわからない。やよいちゃんに聞いてみようか、とも思うけど、実家に帰っているはずのやよいちゃんはもう寝ているだろうと思うと、途端に億劫になって、メールを打つ気もしなくなった。あるいは、こうやってのんべんだらりと貴重なはずの休みを消費してしまっていることが鎖になってるのかもしれないけれど、それもまたささいなことだと思って私は眠る。