今回はわりに時間に余裕があったので、芥川賞候補5作を読んでみました。なんとか間に合った。以下、それぞれの感想です。
- 大森兄弟「犬はいつも足元にいて」
「毎朝どこに行ってるのか聞いたら、クイズ形式で逆に聞き返してきたから、本当にうざったい野郎だって無視したのはいいけど、やっぱり親としてはあれこれ気をもんで、さてはいっちょまえにガールフレンドでも作りやがったかこの助平めなんて、一人合点してたからこそ大目に見て、今日なんてあんたの当番なのに、ゴミ出し代わりにやってやる気になったのに、どこの誰ともわからん小僧と、うかない面並べやがって、とりあえず親心から大丈夫かと聞いてみる」
ああ、書き写すだけで疲れた……。まあ、こういうキャラです。面白いけど、なんだったんだろう感もあり。
- 藤代泉「ボーダー&レス」
寺内みたいな感性の子が結局こういう陳腐な結末を導いてしまったということが、彼女にとってとても不本意な気がして、なんだかそれを思うと僕まで心苦しかった。
この主人公の述懐はかなり自分勝手なものなのだけど、当事者性を離れた言葉としてみれば、“陳腐な結末”になってしまったことへの悲しみというのはある──と、ここまで書いてきて、以前どこかで同じような文章を読んだ……と私の記憶が訴えているのだけれど、思い出せない! なんか、こう、もっと遠くまでいけるよ、とか、誰かに呼びかけている文章だったんだけど……。で一日かけて思い出せたんですが、長嶋有の『夕子ちゃんの近道』における夕子ちゃんへの呼びかけでした。
もしかして、夕子ちゃんはこの世のいろんなことがもどかしいなあと思っているのかもしれないけど、本当は最初から出来ているんだよ。君は、この僕が畏れ敬う数少ない人なんだから、どんなときも泣いたりしないでよ。
これらは、ある意味自分勝手な“願望”を他者に押しつけるものとしても読めるのだけど、その“願望”は裏返って、自分自身がそうありたいという願いにもつながっている気がしていて、嫌いではないのです。
ところで、この小説はおそらくテーマ(在日問題)を中心として語られるだろうし、芥川賞を取ればその勢いは加速すると思うけど*1、それだけで読まれるには惜しい小説だとも思います。登場人物であるソンウについて、読者は主人公とともに好ましく思うし、おもしろく思う。けれど、そういった主人公と読者の思いにふっと冷や水がかかる展開があって、それはテーマだけに収斂されるものというのでもない。冷や水がかかったからといって、それまでの楽しさが嘘であったわけでもないし、そんなに単純なものでもない。また、読み返してみたい小説です。
- 松尾スズキ「老人賭博」
- 羽田圭介「ミート・ザ・ビート」
予備校生活とアルバイト生活を繰り返す人の話──なんですが、あまりそれぞれの生活というのは詳細には描かれないで、中心としては、アルバイトにまつわる人たちの話……という感じでした。最後の終わり方はないんじゃないかなあ。というか、最後は、ええっと、あれは、死んだってことでいいの? ちがうかな。よくわかんないのです。次のところは面白かった。
「セナって、もう死んじゃったやふだろ? どんだけ古いマシンだよ」
「ええっと……おまえら二人が生まれた頃に作られたのかな」
一九年前の車とは大層古いと彼は思ったが、自分達は一九年間しか生きていないのだとも感じた。変な感覚だ。一九年前に製造され今も現役で走っている車など骨董品に思えるが、一九年間しか生きていない彼自身はまだなにも成しえていないのだった。一九年間走り続けそろそろ終わり行く車に、一九年間しか生きていない自分が乗ることになる。」
ここは時間の感覚がぐるぐるとかきまわされて面白かったです。同じ作者なら、以前読んだ『不思議の国のペニス』の方が面白かったように思いました。
- 舞城王太郎「ビッチマグネット」
[追記 19:29]
衝撃の受賞作なし……。たまに全部読んでみたらこれだよ!
しかし、読んでみて抜きんでていると感じるものがなかったところをみると、わりに妥当な結果なのかもしれません。7月に期待。