原子メールの届いた夜に

空き瓶に石ころをためていくような日記です。

「雑誌って、やっぱり「手紙」だよな」

 twitterの中俣暁生の言葉より*1

solar1964
定期購読している雑誌が家に届くのはうれしい。雑誌って、やっぱり「手紙」だよな。

 去年はたくさんの雑誌が休刊になり、そしてそれは今年も続くのだろう。もはや「雑誌」という媒体の持つ求心力は低くなっているのかもしれないけれど、それでも「雑誌」という存在がありがたいのは、ここで指摘されているような「手紙」性によるところが大きいように思える。
 定期的に販売される雑誌は、時期を逃せば基本的には手に入らないという点で、読者の好む時間軸で動くものではない。書籍との決定的な違いはここにあるし、それはむしろデメリットでもあるのだけれど、しかし、ある一定の時期にしか読めないものが、読者の都合を考えずに届くということには、書籍とは異なる“わくわく”感がある。
 雑誌に載っている記事の多くは、読者が望んだとは限らないものであるし、だからこそ“読まなくてもいい”ものなのだけど(“読まなくてもいい”っていうのは幸せなことだ)、そこには書籍にはない思わぬ手紙がまぎれこんでいたりもする。そういう意味では、twitterも新しい言葉や人に出会うツールであるし、また、“時期を逃せば基本的には手に入らない”ものでもある(過去のつぶやきをみることがいかに大変なことか!)という点で、きわめて手紙的なツールなのだろうと思いました。