原子メールの届いた夜に

空き瓶に石ころをためていくような日記です。

ボストン茶会事件

「暑いなあって思うんだけど、冷房を使うほどじゃないんだよね」
「この時期から冷房を入れていると、本当に暑くなったときに持たない、って思うけど、実際にはそんなことはなくて、暑くなったら設定温度を下げればいいじゃない、って話?」

 ボストン茶会事件、という世界史タームを唐突に思い出して、あまりにも格好良い名前だなあと思ってWikipediaをひくと、誤訳の可能性があるそうなのでした。

 The Boston Tea Partyは、一般に「ボストン茶会事件」と訳されるが、この場合のPartyは『徒党(一揆)』や『集団』を意味するため、「茶会」の訳は不適切であるとする見方があり、換わりにボストンティーパーティー事件、ボストン茶一揆あるいはボストン茶党事件と呼称されることも少なくない。しかし一方では、「会」という漢字は必ずしも会合だけを意味せず、団体を指して「商会」などとも用いる。また茶党という集団が存在したわけではないし、事件を皮肉めかして(「海水で大量の茶を淹れた」という風刺の意味で)呼んだ名称であるとの解釈もできるので、必ずしも誤訳と言い切れるわけではない。

ボストン茶会事件 - Wikipedia

 「ボストン茶一揆」! なんというセンスのないネーミング! 「一揆」というネーミングは、どうも外国の事件を表現するにはイメージが強すぎる言葉のような気がします。「ボストンティーパーティー事件」だと、なんか殺人事件が起こってそう。
 こういったネーミングは、ホントに言葉に対するセンスが抜群に発揮される場面で、さらりとネーミングできる人がうらやましいなあと思うんですが、むずかしい。ただ、こういったことはもう割り切って、自分なりの言葉の使い方にシフトしていくしかないんだろうな、とも思います。小説家の中にも、タイトル付けなどを苦手にしている人が割に多いのは、あるいはコピー的な言葉の使い方と、小説的な言葉の使い方との差異を如実にあらわしている、と言えるのかもしれません。