原子メールの届いた夜に

空き瓶に石ころをためていくような日記です。

榊一郎『カタナなでしこ』

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 講談社タイガより。刀の拵えをつくる4人の高校生の1年を描く、よくできた青春もの。いかんせん、構成が丁寧すぎて「計算通り」の感があり、そこが小説としては退屈になってしまっているのが難点*1だけど、刀のことなど、知らないことがいくつか出てきて面白かった。

 4人の高校生は、それぞれ「刀」に関することをアナロジーにしながら、自分の人生の問題を考えていく。受け継ぐこと、表現すること、飾ること、自分であること。

 不純物。
 それは、日本人でも外国人でもない中途半端な自分のことを、指しているようで。おまえは日本人ではないから、日本刀に関わる資格はないと、言われている気がして。(第5章)

 各章ごとに視点が変わる物語の、最初と最後を務める主人公、千鶴。その悩みは、自身の生まれにあるのだけれど、その悩みの元には幻想としての「純粋な日本文化」という像がある。その像を揺さぶるような、次の箇所がよかった。

 挙げ句の果てには──
「何、この兜?」
 と呆れ混じりの声で言う千鶴。そこには、何処からどう見ても、シルクハットそのものの形をした、兜が映っていた。日本刀同様、日本の伝統文化、その精髄である筈なのに、事もあろうに手品師が使うの如きシルクハットとは。(第5章)

 検索してみるとありました。これはひどい

 「日本の伝統文化」とか「精髄」とか言われているものの中には、後世になって「典型」として単純化して捉えられているものもたくさんあるはずで、実際上においては、文化はたくさんの「不純物」でできている。こういう兜は、現在の「兜観」をゆさぶるものとして面白い。

 先生が2人出てくるのだけど、その描き方は薄くて残念。

*1:夏休みの課題図書になりそうな感じ。