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原子メールの届いた夜に

空き瓶に石ころをためていくような日記です。

夜に落ちる

 野宮かなみは、りんごを食べるときの音が嫌いなのだと言った。そうなの、と、特に感動したでもなく、藤代は答える。ただそれだけの会話。5年前のことだ。


 もうずいぶんと野宮かなみには会っていない、ということはなくて、藤代は今でも彼女と頻繁に会っていた。お互いに、それほど友達がいるわけでもない。むしろ、積極的にいない。この社会というのは、ひとまず友達がいなくても生きていけるようにはなっていて、そのことを藤代は幸いなことだと思っていたけれど、ときには友達がいた方が便利なことがある。


 たとえば、と思い浮かべようとして、藤代はノートパソコンのモニターから視線を外し、窓の外をみる。日曜日の夜のカフェ。地域の中型書店の、書店とCDショップとをつなぐ渡り廊下に面するその店からは、それほど時間が遅くないからか、子ども連れの姿もずいぶんと見える。渡り廊下の向こう、駐車場から動き出そうとする車のヘッドライトがまぶしくて、藤代はまたモニターに視線を戻す。


 それほど思いつかないのだった。以前は、人がいないとつらかったカラオケにしても、ファミレスにしても。焼き肉は……店によってはちょっときついか? 回転寿司はいける。ボウリングは無理かもしれない。Twitterのタイムラインの流れるモニターを眺めながら、藤代は思う。そもそも、ボウリングなんてもう10年はしてない。かなみとだって、したことがない。


「あれだよね。人とする遊びが苦手なんだわ」


 声に出さずに唇を動かせば、ああ、そうだったそうだったと、藤代は自分のことを確認しているような思いがした。かなみも、そういうところがあった。一緒に出かけたところも、身体を動かしたり、歌ったり、えーっと、あー、そう、なんだろう、歌を聴いたり? とかいったところではなくて(ライブのことだ)、カフェでぼーっと座ってる、とか、そういうのばかりだった。


 藤代は、思い出す。思い出しても思い出しても、かなみとの思い出は、非アクティブで、非生産的だった。そんなかなみと長い時間を過ごしてしまったから、私はこうなってしまったのかもしれない、と藤代は責任を転嫁した。


 ポットに残ったコーヒーをカップに注いで、さらさらの白い砂糖を入れてから、スプーンで混ぜる。藤代は、甘いコーヒーが好きだった。タイムラインに、ちょうどよくかなみがいたので、藤代はリプライを飛ばす。


[@kanami1105 責任取ってくれる?]


 藤代のアイコンは、真っ赤なりんごだった。藤代とかなみがTwitterを始めたときから、アイコンは一度も変えていなかった。それをみても、かなみは特に何を言うでもない。藤代は知っているけれど、かなみは別にりんごが嫌いなわけではなかった。ただ、りんごを食べる音が嫌いだった。


[@fujishiro7 うーん、いいよ!]


 イラスト調のカエルのアイコンで、かなみからの返信が来る。モニターの向こうで、かなみがどんな顔をしているかはわからないけれど、笑ってはいないんだろうなと藤代は思った。かなみはそういう人だった。


 さて、どうするか。腕組みをして、藤代は考える。

 野宮かなみは、笑っていた。というよりも、にやけていた。わかっている。冗談だ。そうはいっても、唇の端があがるのを、かなみはおさえられなかった。


 藤代のりんごのアイコンは目になじんでいる。りんごが話しているわけではない、と思いながらも、毎日毎日タイムラインでそれをみていれば、次第にアイコン自体が藤代のように思えてくる瞬間が、かなみにはあった。実際に会っていて、そう思うことはさすがにないけれど。


 ベッドの上でごろりと横に回転し、うつぶせの体勢から、あおむけへと変わる。左手でiPhoneを操作して、藤代のツイートをみる。なでることはしない。さすがに。


 それが恋なのかどうか、野宮かなみにはわかっていない。藤代と友達になってから5年、その間に恋人がいなかったわけでも、ない。一か月の付き合いが、恋人と呼べるものだったかどうかは怪しいけれど、ない。ただ、かなみは藤代のことが可愛かった。藤代は自分より背が高くて、一般的にみれば、可愛いというタイプではなくても、まあ。


 藤代は忘れていたが、5年前にかなみがりんごのことを話したとき、藤代はそうなの、と言ったあとに、わかる気がする、と言ったのだった。絶対わかってない、とかなみは思った。だけど、そう言いながら、かすかに顔をしかめていた藤代をみて、かなみはいい人だと思ったのだった。


 本当のところを言えば。藤代が顔をしかめていたのは、藤代以上に、かなみが顔をしかめていたからだった。なにもそこまで、と藤代は思ったのだったが、そのことも藤代はもう覚えていなかった。


 あーあ、といいながら、かなみは左手のiPhoneをベッドの上に放り出した。反動で、ほゆんとiPhoneがはねる。ねむたい、とかなみは思う。藤代からの返事には、時間がかかるかもしれない。藤代は、テンポよくかけあいができる人ではない、とかなみは知っている。でも、さすがにねるのはまずいかもしれない。


 起き上がろうかなあ、と、喉を動かさずにつぶやいて、その気がないことをかなみは知っていた。頭を右に向けて、ダッシュボードの上の、カエルの形をした目覚まし時計をみる。8時12分。藤代はどこにいるのかな、とかなみは思う。藤代の行動範囲はそれほど広くない。家かな、と思ったけれど、さっきのようなことを、家で思いつくような子ではないと、かなみは知っている。外だ。


 もう一度、iPhoneをみる。ロック画面に藤代からのメッセージがあったことが表示されていて、すぐに親指を右にはしらせる。


[D kanami1105 じゃあラポームに来てね]


 あの本屋さんのカフェか、とかなみは思いを巡らせて、めんどくさいなと思った。もう夜だよ。でも、生活時間が遅めの藤代にとっては、これくらいの時間は、ちょっと外に出るか、というくらいの時間であることも、かなみは知っている。


「じゃいくかなー」


と、今度は喉を震わせて声を出し、おお、言葉が肉体を通っていくよとかなみは思った。ベッドからおきあがり、伸びをすると、肩がぽきぽきと鳴った。

「ちっす」

と、かなみが声をかけるまで、外を眺めていた藤代は気づかなかった。おおう、と太い声が出る。なにそれ、とかなみが言う。カウンターの横の椅子をひいて、かなみが座る。甘い匂いがした。いつものかなみの匂い。


「外見てるとさ」
「うん」
「ここ楽しいんだよね、おもちゃみたいで」


 藤代の視線を追って、かなみも窓の外を見る。夜の9時を過ぎれば、人もそれほど多くはないけれど、しかし、日曜日の夜だけあってか、それなりに人の姿はあった。カップルも、親子づれも、おひとりさまも。


 「わかる気がする」とかなみは言った。なにそれ、と藤代が笑って、かなみをみる。


「全然わかってないでしょ」
「ばれたか」


 藤代は、だと思った、という顔をして、また視線を窓の外に向ける。おもちゃって言うかさ。作り物っていうか、なんか町の模型の中にいるみたいじゃない? 藤代がそう言うのを聞いて、かなみは、今度は本当に、そうかもしれない、と思った。


「で、責任ってなに」


と、かなみが聞いたとき、藤代はもうそのことを忘れていた。うん? という顔をする藤代をみて、かなみはああ、もういいもういいと呆れたように言ったので、そのことで藤代は忘れていたことを思い出した。ロイヤルミルクティーお待たせしました、と店員がかなみの飲み物を運んでくる。


「やー、なんかさ」
「うん」
「うちらも長いよねえ、ってそういう話」
「ふーん?」


 恋人みたいじゃん、とかなみは思いながら、平板に答える。かなみの顔はかすかに赤いのだが、藤代は気づかずに、窓の外を見たままで、いつまでもこんな感じなんかねー、と言った。その言葉に、かなみはカップを口元に運ぶ動作を少し止めて、そうね、と言って、付け加える。


「でも、老いはちゃくちゃくと忍び寄ってきてますからね」
「知ってるー」


 藤代が笑って、かなみはうれしい。ミルクティーを飲んで、藤代の方をみる。口を開く。


「僕たち一緒に行こうねえ」
「なにそれ」
「カムパネルラ」
「ああ」


 藤代はわかったような、わかってないような顔でうなずいたあとに、勝手にいなくならないでよね、とかなみに言った。


【第0回】短編小説の集いのお知らせと募集要項 - Novel Cluster 's on the Star!

りんごかもしれない

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