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原子メールの届いた夜に

空き瓶に石ころをためていくような日記です。

1番になるということ

断片記

 ふと思い浮かんだこと。

 思えば、小学生のころに「1番になる」ということを体験したことは、ほぼなかったように思う。 そうか? と思い浮かべていやそんなこともなかったかも、とは思うものの、少なくとも能力の面で1番、という感覚はなかった。

 それは、運動が苦手だったことにも起因しているのか、あるいは、小学生のころって特に何か音楽とかスポーツとか、人と競うことがあることを特別にやってでもいないと、なかなか順序などは着かないってことに起因していたのかもしれない。

 で、それは中学校になっても変わらず、まあ勉強も特にできなかったのだが、中学校2年生のときに塾に通いはじめて、何回目かの塾の試験(たしか地域でいくつかの支部のある塾だった)で8とか9とか、地味にそれなりの順位になったのだった。

 そのときの、「おや?」という感覚が、昼寝をしていたいま、ふと目覚めてからなんだか唐突に思い出して、あれはなんだったのかなあと思う。

 塾の試験の順位などに、特に価値はない。と、今なら思うのだけど、そういうわりといい順位になりうることが、自分にもあるんだな、ということをそのときに、なんかあまり信じられない気持ちで知ったのではなかっただろうか。

 昼寝から目覚めてぼうっとした頭で書いてるので、何を書きたいのやらよくわからないのだけど(自慢か? しかし、大人になってセンター試験の話とかしてるの恥ずかしい的なことって最近聞かないけど、それはもうセンター試験の話とかみんなしないよねーってことかな)、自分に、やったらできる部分があった、っていうことを知ることができたのは、それはそれでよかったのかもしれない。

 順位というのは、ルールのあるという意味でのゲームの中でしか通常明確にはつかない。試験もルールのあるゲームだし、スポーツだって音楽だってゲームだ。だから、それはそのゲームを取っ払ってしまうとろくすっぽ価値がなかったりもして(それでも価値を生んでしまうシステムが社会にはあるのだが)、でも価値のないところに可能性を見ることができるというのは、誰にでもあるべき幸運なのだろうか? ということがたぶん言いたかった。よくわかりませんね。