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原子メールの届いた夜に

空き瓶に石ころをためていくような日記です。

気持ちを提供されたくない

断片記

道徳教材「心のノート」に偉人伝も 下村文科相 - MSN産経ニュース

「たとえば偉人は歴史、国境を越えて人が人として生きる道標として参考になる。エピソードをいろいろと入れることで生きる勇気や頑張る気持ちを提供する」と述べ、偉人伝を盛り込む意向を表明した。

 教育再生関係ではうんざりする話しか聞きませんが、これもまた同様の話。個人的に考える点は次の2つ。

  1. エピソードに影響されて人が「生きる勇気や頑張る気持ち」を得る可能性はどの程度高いのか。
  2. 仮にその可能性が高いとして、そこで紹介される「偉人」のその「偉人」性はどのような価値観によって評価されたものなのか。

 1点目については、なぜか教育再生関係の議論では、「規範意識は教えれば身につく」みたいな構図があるように思うのですが、そんなに簡単に「考え方」をインストールできるわけないじゃん、ということです。彼らの議論では総じて内容の問題しか表に出てこず、方法については旧来的な「教え込み」モデルのままのように思います。

 2点目については、仮に「素読」的なもので考え方がインストールできるとして、それではそこで「偉人」を「偉人」と承認し、その「偉人」の人生を物語化するときにどのようなフィルターがかかるのか、ということです。それは別に偏ったフィルターになるんじゃないか、みたいな懸念でもなくて、単純に脱臭化された「安全な道徳」*1なのではないだろうかということで、そんなの基盤としてはインストール済みだし、インストールしてるけど実際にはなんか毒にも薬にもならないよね、みたいなものなんじゃないでしょうか。

*1:人を思いやる気持ちはすばらしい、みたいな。