原子メールの届いた夜に

空き瓶に石ころをためていくような日記です。

見えない世界のこと

 一時期、お風呂が壊れて温泉生活+ネットカフェのシャワー生活を送っていたことがあった(2週間〜3週間くらい)。そういえば、去年の今頃もそうだったような……。バランス釜こわい。

 で、そのときのことをふと思い出して、いま、温泉には全然寄りつかない自分の生活を見返したときに*1、あの「温泉にいた人々」のことはすっかり忘れているのだなあ、と思った。別に同じ人が毎日いたわけではないにしても、「日常的に温泉に通っている(であろう)人たち」のことを、私はすっかり忘れてすごしている。

 だからどうか、という話でもなく、ここからなにかしらの教訓を引き出そうということでもないのだけれど、なんか、そういう多様性というところの前のちょっとした「想像できなさ」みたいなことと、あと、目に見えないところで、本当にたくさんの人がそれぞれ自律的に動いていることの情報量の多さにめまいがした。

*1:そもそも温泉や銭湯があまり好きではない。