原子メールの届いた夜に

空き瓶に石ころをためていくような日記です。

『トイレット』

[asin:B004GGSTCU:detail] 久しぶりに映画のDVDをみました。2時間ぐらいの時間ってわりと「思い切る」ことが必要で、ただでさえ細切れの娯楽に触れることが多くなっているので、だんだんと「よし見よう!」と思い切るのが大変になってきています。見始めるとおもしろいんだけど。

 『トイレット』は、『かもめ食堂』の荻上直子さんが監督をした映画なのですが、全編が英語─日本語字幕になっていて、邦画を見ているような洋画を見ているような、不思議な気持ちになってきます。どこが舞台なのか知らなかったんですけど、いま公式サイト(映画『トイレット』公式サイト)をみたところ、トロントだったみたいです。なんとなくアメリカではないような気がしていた。

 すべての場面に、なにかしらの物語上の意味があるので、物語の展開としてはパターンといえばパターン。ただ、終始ほぼ無言の「ばーちゃん」の内面は覆い隠されていて、その行動から内面を推測することはできるけれども、その実、何を考えているのかはわからない、という不気味さにも近い「謎」が、三人兄妹の過ごす家の中心に存在しています。唯一、日本語を使う(はずの)「ばーちゃん」が、その言葉を封じていることは、この映画の視聴者(多くは日本語話者)にとっても、もどかしさを感じさせるもので、しかし、だからこそ「ばーちゃん」という存在が印象的にもなっている。

 最後の展開は、特に泣かせようというものでもないのだろうし、私も実際泣かなかったわけですが、トイレットという題名へと回帰していくところがよかったなあと思いました。あっちのトイレットじゃなくてこっちのトイレットだった、というのもはしごを外してくれてうれしい。そしてぎょうざが食べたい。