原子メールの届いた夜に

空き瓶に石ころをためていくような日記です。

掃除をしたら

 昨日の日記にも書いたとおり、掃除をしました。わざわざ書くことか! という感じですが、私は放っておくと本当に危険なレベルで掃除をしなくなってしまうので、掃除をしたというのは大きなことなのです。机とかもうごかしたので仕事場が一気に広くなった。なんだか心まで晴れ晴れとして何でもできそうな気分で、これが自己啓発…! と震撼しています。そして人は騙される。

 ともあれ、この掃除された状態がそれほど長く続かないことを、私はこれまでの人生から学んでいて(そもそも母も掃除ができない人であった)、しかし、今度こそは今度こそは……と鉄の意志を持って、毎日散らかりを生む芽をつぶしています。知ってる。荒れ果てた部屋は、ひとかけらのカオスから生まれることを。たった一枚の紙を処分しそこねただけで、そこから部屋は荒れていくということを。狭い部屋の中に過剰にゴミ箱も配置したし、書類は発生するたびに電子化しては処分しているし、読みかけの本はいちいち机の前の「現在利用中」の本棚に戻してるし、大丈夫……なはずです。そうでありたい。

 しかし、忙しくなったとき、つい、「これ明日片づけよう」から崩壊する未来がまざまざと想像できるようで、今からせつない気分でもあるのです。