原子メールの届いた夜に

空き瓶に石ころをためていくような日記です。

武富健治『鈴木先生』(10)

9巻から積んでしまっていたので、年末年始で一気に全部読み直しました。読むたびにすごいなあって思うのは、登場人物がそれこそひとりひとり生きていることで、「あそこで出てきたこのキャラ、名前知らないけど最近いいな!」とか、そういうことがどんどん起こる。最新刊付近では、鈴木先生のクラスである2年A組だけではなくB組やC組、そして演劇部まで詳細に描写されるようになってきて、しかも、どの人物も単純な役割演技をしているということにならないのがすごい。


もとより、人を単純なキャラクターとしてみること自体に物語内容が批判的な立場を取っている以上、「ただの悪役」が存在するはずもなく、一度きりの端役で終わる人物はほとんどいません。


10巻で展開される演劇の話も、たいてい学校を舞台とした漫画はなぜか文化祭で演劇をする確率が高い気もしますが、これまで読んだものの中では群を抜いてしっかりと“演劇”を描こうとしているように思います。なんでこんな漫画が描けるんだろう、というのは、解説でも何回も書かれていることですが、本当に圧倒される。次も楽しみです。