原子メールの届いた夜に

空き瓶に石ころをためていくような日記です。

メメント・モリ

 自動車を運転することはもともとあまり好きではなく、得意でもなかったのだけど、今年はその感覚がより強くなったように思います。もとより、これまで特に事故などに遭わずにきたのは、それなりに気をつけている、ということがあるにしても、しかし、それ以上に「運」によるものの方が大きい、というのが実感で、早く、すべての車が自動で動くようになってほしいと、わりと本気で思っています。

 こういう感覚の根っこには、人は意外と死んでしまう、ということが肌に染みはじめてきた、ということもあるのでしょう。それは、自分が人を殺してしまうかもしれないということを思うと同時に、自分が明日死んでしまうかもしれないということを思う、ということがかなりリアリティを持って迫りつつあるということです。

 あまりにその感覚が強いと、そもそも進むことすらできない、ということになるので、それは普段は忘れているしかないと思うのですけれど、でもそれはふっと浮かび上がってきては、そういう可能性もあるんだな、と心に碇のようなものをつけていく。年齢を重ねれば重ねるほど、死は近づいてくるわけで、かつてよりも、そのリアリティがひたひたと近づき、染みこんでくるというのは当然なのかもしれません。