原子メールの届いた夜に

空き瓶に石ころをためていくような日記です。

今年みたアニメーションについて

 今年はなんだかたくさんアニメをみた気がします。これはニコニコ動画の影響が大きくて、私の住んでいる地方だとそもそも地上波は5局しかない(テレ朝系列とテレ東系列がない)ということもあって、もともといわゆる「深夜アニメ」がほぼ存在しないのです。

 今年みた作品の中から、特に印象に残ったものを3作品あげてみます。以下、だらだらとした感想。

輪るピングドラム

 たぶん、何年経っても思い出すんじゃないかなあ、という作品。3匹+1匹のペンギンが好きでした(特に2号。2号はどうしてあんなに食いしん坊だったのだろう)。ぬいぐるみ欲しい。今年は2クールのものを結構みたなあという感じがしていますが、2011年の夏から冬にかけての記憶は、ピングドラムのイメージと一緒に蘇ってきそうです。「偽日記」(http://d.hatena.ne.jp/furuyatoshihiro/)の方が継続的に感想を書いていたので、その感想を追いかけつつ視聴してる感じでした。

 相変わらず抽象の軸を考えるのが苦手なので、特に解釈しようとがんばってみてた感じではないんですが、たぶん何度も見返すうちに色々考えることがあるんだろうとも思います。終わったけど、終わらない作品。

花咲くいろは

 印象に残ってるのは、登場人物のひとりが、「人の夢を夢見るようになる人だっている」(曖昧な記憶による再現)と言ったことだったみたいで、その言葉が、終わったあとにもずっと残ってる感じがしています。「働く」というのは、ひとりで働くということではなくて、その意味では、「自分だけの夢」を持つ必要は必ずしもない。「将来の夢」と言われたときに、私たちはどこか「ひとり」で「何になるか」を考えてしまうのだけど、本当はそれだけではなくて、「みんな」で何をするか、ということも夢でありうるんだ、ということにいまさら気付きました。

 これも2クールあったのがよかったんだろうと思います。春から秋にかけて、長い時間を積み重ねていくことが意味を持つ作品だったと感じました。

あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。

 上の二つに比較すると若干印象が弱いのはたぶん2クールなかったせい。もう少し、物語としてではない日常があってもよかったのかなあと思わないではないですが、それはきっと、登場人物たちの表情をもっと見ていたかったからなのでしょう。

 作中では10年の時間の流れがあって、その点では『輪るピングドラム』も『花咲くいろは』も、過去と現在と未来の話だった点で同じなのかもしれない(そもそも過去と現在と未来の話ではないものって少ない気もするけど)。過去を思い出す、ということは、この作品がはじまったころにも、次のように考えていました。

 歳を取るにつれ、次第にわかってきたことは、10年というのはそれはそれは長大な時間なのだけど、しかし、記憶が古びるほどに遠くはない、ということだ。自我が確立してからの10年を振り返ることができる歳になった、ということなのだろうけれど、この10年が7つも積み重なればそこに戦前がある。すごく遠くて、でも、地続きの時間だ。

 これから数ヶ月、あるいは、数年の間は、ノスタルジーの季節が来るのかもしれない。それは、以前にあった昭和ノスタルジーのような、「手の届かない虚構の歴史」に対するノスタルジーではなくて、10年前や数年前を振り返るような、そういう種類のノスタルジーが。私は、ノスタルジーというものに対して、一方で、ある種の気持ち悪さが張り付くことを懸念するけれども(あの良き時代!)、しかし、今、数年前を想う、というのは、自分自身が生きてきた年月の記憶に対するメンテナンスとして、ひょっとしたら必要なことなんじゃないだろうか、とも思っている。

 もうすぐ、2011年も過去になります。数年後に、この年を思い出すとき、何を感じるのだろう。