原子メールの届いた夜に

空き瓶に石ころをためていくような日記です。

末次由紀『ちはやふる』(10)

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ちはやふる』のいいところは、その群像劇性なのかなあと最新刊を読みながら思っていて、それは、ヒョロくんのような明らかな脇役としてのキャラクターが特にビジュアル的にかっこよくもならずに、しかしかっこいい、という描き方がなされている(作中でかっこいいと思ってるのは肉まんくんのお姉さんだけだったけど)というところで強く感じました。巻を追うごとに登場人物が増えていって、みんな生きている。次は甘糟先輩が何をするのかなーって楽しみです。


あと、今回は顧問の話が静かに流れてもいて、これは『ちはやふる』全体に流れている「師匠」と「弟子」の流れにも連なってると思うんですけど(二人のチャンピオンに師匠がいない問題)、その流れの最後にある女帝とのシーンがすごくよかった。ちはやは1年生がはいってきたときから明確に「顧問」のような立場にたつ自分というのを意識しはじめていて、それが今回の坪口さんへの視線にもつながっていたと思うんですが、しかしそれとは違う顧問のあり方として女帝が出てくるところが、このマンガのおもしろいところだなあと思います。


自分自身も戦ってくれる師匠である原田先生、自分は弱いけどそれでも名人を目指しつつカルタが好きな持田先生、自分は短歌はよくわからないけどできることをやろうとする女帝。いろんなタイプの指導者の姿がある。


太一がこの巻の最後に「いろんなものでできてる」ってことをつぶやいていますが、坪口さんのなかに原田先生の姿が見えたり、新のカルタにおじいちゃんの姿がみえたり、それが時間として積み重なってきてるから、物語の面白さだけじゃなくて、それぞれのカルタを生きている感じがおもしろい。私の中には誰の姿が見えるんだろうか、ということを考えたりもしたくなります。