原子メールの届いた夜に

空き瓶に石ころをためていくような日記です。

『借りぐらしのアリエッティ』

箱庭を歩くように、散歩をするということがあってもいい──ということがふと思い浮かんで、いつもなら車で通りすぎるところを歩いてみると思いのほか楽しいわけですが、この映画は、そういう楽しさともまた少し違っていて、ようするに、私はひとつの場所がじっくりと描かれているのがとても好きです。
たとえば、ひとつのお屋敷の中。たとえば、学校のあれこれ。たとえば、ひとつの町の様々な場所。そういった、“場所”を主人公にしたような作品が私は大好きなはずで、『借りぐらしのアリエッティ』は、その期待をかなえてくれたような、まさしく“場所”を中心においた作品だったと感じました。

物語としてみれば、すごく抑制された物語でした。大きなカタルシスはなく、奇跡は起こらない。一家が逃げなくてすむようにもならないし、父と母が人間に対して何かコメントをいうでもない。“滅びゆく種族”という、その宣告に対しても、明確な答えが出されることはない。しかし、変な言い方をすれば、そんなことはどうでもいいように思います。
釘でできた通路や、ロープのエレベーター。戸棚の奥の扉に、外せるようになっているコンセントのカバー。そういったひとつひとつが、とてもよかった。両面テープで登っていくのもよかったし、きっと、気がつかなかったけれど、“ストーリーの裏に隠された謎”とかそういうのじゃなくて、“実はこんな工夫があった!”みたいなのがたくさんあっただろうなあと思って、そういったものをみるために、変な話だけど、連続物みたいだったらもっとうれしかっただろうなあと思いました。
あの家の見取り図とかあったらそれだけでうれしいし、そういう本とか出ないかなー、と楽しみにしています。
あと、音楽もよかった。最初は違和感があった──というのは、それが舞台となっている“日本”にはそぐわない音楽のように思えたからで、けれど、その音楽と舞台の土地とが溶け合っていくような気がした──のは、あの家が和風の造りではなかったからというのもそうですが、小人という視点から、世界が写し取られていたからではなかったか、と思いました。きっと私はサウンドトラックを買ってしまうことなのでしょう。