原子メールの届いた夜に

空き瓶に石ころをためていくような日記です。

詩になる言葉

 最近のtwitterでみかけた言葉、2点。

 マクドナルド茗荷谷店: 女:「あのねー、超しょーじきにゆっけど、あたしさ、元カレと付き合ってんのね」男:「それどういうこと?」女「あんた相変わらずぼけてんね。あんたがさ、今は元カレになったのよ」私は静かに席を立つ。

ふっしーです (@fu4) | Twitter

 話の内容については別として、「あんたがさ、今は元カレになったのよ」という言葉のぐるんとくる感じがすごい。ひとつ前の発言で「元カレ」として示されていた彼は「今カレ」になり、今、「元カレ」という言葉を聞いて「ああ、あいつのことか」(?)と思った「今カレ」が「元カレ」に転じている──と書くとなんの変哲もないことだけど、この短い会話の中で登場人物の「名前」が変わるという劇的さがよかった。

 今日電車の中でまたチャモロがしんだ

loomer on Twitter: "今日電車の中でまたチャモロがしんだ"

 このまんま小説の書き出しになりそうだ。むしろ書きたい。「また」というのがすごい。そして、「電車の中」というのもいい。瞬間、ゲームのキャラクターであることが忘れられて、「チャモロは何回死んでいくのだろう」と思わされる。見る瞬間笑ってしまうような(それは「電車の中」という場面性によるところが大きい)、しかし一方で、なんともいえない疲れたかなしい空気がただようというか、複雑な感情が凝縮された一文です。