原子メールの届いた夜に

空き瓶に石ころをためていくような日記です。

台風の気配

 わずかな窓の隙間からふっと入り込んでくる風は、まるで生き物のようでした。

 朝からずいぶんと風が強い。台風の気配だ。ルートからはかなり外れているのだけれど、なにかが近づいてくるのを町中が感じているかのようだ。
 台風が予測できるようになったのは、それほど昔の話でもないはずで、それ以前の人々は、突然の訪れをどのように受け取っていたのだろうか。あるいは、今の私たちには察知できないそれを、敏感に感じ取っていたのかもしれない(今でも、農家の人たちの天候への感覚は、農業に携わっていない私たちのそれとは全然ちがう)。
 地震が完全に予測できる未来が来るのかどうかわからないけれど、もしその未来が来たとしたら、「地震が予測できなかったころって、どんな感じだったんだろうね」ということになるだろう。そして、“地震”というものの“来る”イメージも、今とは異なるものになるのだろう。一般の人たちには予測できるメカニズムがわからなくても、それでも、“予測できることが表現される”ことによるイメージの世界に与える影響はきっと大きい。「雷が落ちる」という言葉が、「雷は雲の上にも落ちる」ことを忘れさせているように。