原子メールの届いた夜に

空き瓶に石ころをためていくような日記です。

青桐ナツ『flat』

 ……なんだろう。さいきん、多くみかけるような気がする“小さなこどもとの交流もの”と言ってしまえばそれまでですが、しかし、そうやってひとくくりにすることにも大して意味のないような気がする、そういうマンガです。
 1巻の方は、主人公の平介と甥のあっくんとの関係を焦点として話が進んでいきますが、1巻の後半や2巻になると、平介の友だちなど、学校に話が広がっていきます。特に劇的な成長を遂げるわけでもなく、じんわりと世界が広がっていく、“間の抜けた”感じ。それがおはなし全体を覆っているようでもあります。
 『よつばと』を例にあげてもいいし、あるいは、保坂さんの『季節の記憶』などでもいいと思うのですが、子どもを描くというのは、それがきちんとしていれば、ただそれだけでおもしろい。想念上の“子ども”ではなく、ある種、わけのわからないものとしての“子ども”がいれば、たぶん、それは物語としての駆動ではなく、不思議な存在としての子どもによって駆動されることになるのではないか──ということを思います。子どもは、少なくとも、“大人の物語”の住人ではない。
 このマンガの登場人物たちは、全体的に正体の知れないところというか、“他者にとって真意がつかみにくい”人たちが多いのですが、その、それぞれが切り離されながらも一緒にいる感じが、心地よい空間を作り出しているように思いました。